カテゴリ:西藏/チベット( 31 )
暴动一周年   戒严下的藏历新年
NHK记者深入甘川藏族自治州,报道当地军、警部队源源而来,节庆活动销声匿迹,以及藏民们沉默的抗议等最新情况。

http://www.verycd.com/files/11f5598499b9c13a260a6b655bc907f551326986

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by yaponluq | 2009-03-23 17:41 | 西藏/チベット
中国汉人为何支持政府对西藏的政策?
中国汉人为何支持政府对西藏的政策?
http://www.danke4china.net/szpl/137.htm


3月10日以来,吸引全世界眼球的大事件莫过于中国当局对西藏骚乱的镇压。国际人权组织与媒体对中国一片谴责声,一些西方国家政要也正在加入谴责行列。

与西方社会迥然不同是的,中国国内只飘出了几缕反对镇压西藏反抗活动的声音,公开的舆论几乎一边倒地支持中共当局镇压西藏。德国之声汇编了国内外华人写给他们的留言,言辞激愤,杀气弥漫。一封署名harlemyin的来信干脆说中国政府封锁新闻就是为了保护藏人,否则汉人知道藏人打砸抢的真相,将“是汉人和藏人全面的对抗,藏民那点人,够死几次?十几亿汉民面前他们不过就是蚂蚁,随便怎么踩。”

为什么中国人在日渐觉醒到本国人权有严重问题的时候,对政府镇压本国少数民族的暴行却持如此态度?择要言之,影响大陆汉人对西藏态度,有以下几个源远流长的因素:

   一、“统一”是中共统治合法性基础之一

中共1949年建政以后,将“阶级斗争”做为自己政治合法性的基础;1978年改革开放以后,合法性就建立在发展经济与维护祖国统一上来,并将这一说教通过学校教育、媒体宣传等方式化成社会成员的一种自觉思维。每年一度的春节文艺晚会,都会有身穿各种少数民族服装的演员载歌载舞,歌唱各民族如何紧密团结在中国共产党周围,以台湾为代表的“海外游子”如何盼望回归“祖国母亲”的怀抱。 “我的中国心”,“龙的传人”等歌曲通过春晚传遍世界华人社会。总之,在中国民众心目中。“统一”几乎具有不可置疑的政治正确性。

二、主权高于人权

主权高于人权,还是人权高于主权?这是90年代以来国际社会争论不休的话题。“人权高于主权”是当年北约出兵科索沃地区的理由,也是美国发动伊拉克战争的理由。而中共出于对米洛舍维奇与萨达姆惺惺相惜的同类情感,开动一切宣传机器并利用学校教育,反复给中国人灌输“主权高于人权”的理念,意思是一个国家的人权再糟糕也是本国内政,他国不得干涉,维护本国人的统治(西方扶植的民主势力不算在内)高于一切。

――理解了这一点,也就会理解多年来大陆愤青对“台独”势力一直喊打喊杀的原因何在。

三、绝大多数汉人不了解西藏的前世今生

这是中共长期洗脑的结果。历史教科书中告诉一代又一代青少年:西藏被中共“解放”以前实行万恶的农奴制,农奴主非常凶残地压迫农奴并随时夺去他们的生命;而西藏的喇嘛则利用宗教这一“精神鸦片”麻痹农奴的斗志,让他们不加抵抗地接受农奴主的罪恶统治。是共产党解放了百万农奴,让他们翻身得解放,是中国共产党帮助昔日的农奴建设了新西藏。几乎45岁以上的中国人都记得“革命史诗”《东方红》影片里那“百万农奴翻身把歌唱”的热烈场景。我至今还记得小学三年级时学校组织去看电影“农奴”时,不少同学流了许多眼泪。

1978年改革开放以后,中共对西藏的政策有所变化,加强了经济援助,文化管制也略为宽松了一些,但教科书的说法依然没变。几乎凡在党政事业机关工作的人,都知道“援藏”一说,也大都捐过钱帮助西藏扶贫。

至于西藏人对于被“解放”的真实想法以及“解放”过程的残酷,绝大多数汉人不知道――其实,知道了也不会产生多大的同情,因为汉人经历过同样的事情,只要他本人及其家族不是受害者就很难设身处地为别人想。许多人甚至不了解汉人区那残酷的阶级斗争在西藏最后演变成了尖锐的民族矛盾与剧烈的文化冲突。谈到达赖,更是只知道他是“西藏农奴主的总代表”,成功地骗取了国际社会反华势力的支持。

  四、不了解藏传佛教在西藏人生命中的意义

共产党奉行无神论,将所有的神都当作迷信统统扫入“历史垃圾堆”。不信奉宗教且将“经济发展”奉为宝典的汉人既不理解宗教在人生命中的意义,也无法理解对于长期生活于政教合一社会中的西藏人而言,宗教已经与他们的生命融为一体。

其实,经过中共半个世纪以上统治的汉人也不理解文化传统于人生之意义。毛领导下的共产党采取与一切传统决裂之姿态,不仅孔子儒学没有任何存身之地,从艺术到居住、从饮食到服装,甚至连汉语形式都被彻底改造。他们从自己的心态出发推想其它民族,以为所有民族都应该与自己的落后传统告别。尤其在面对藏汉关系时,汉人的文化优越感起了作用,很多人这样想:西藏这么落后的农奴制(相当于马克思社会五阶段说中的奴隶制过渡到封建制的阶段),我们帮助你们藏人跨越了封建社会、资本主义社会,进入到社会主义社会,你们还要在达赖的策划下阴谋搞分裂,是可忍孰不可忍?

五、有移民习惯的汉民族不理解弱势民族的自卫心态

据历史记载,从清乾隆时期开始,中国汉人居住区域已人满为患,时人记载为“穷天地之力,犹不足养”,北方各省闯关东,南方之人下南洋,西边之人移居新疆,弱小的少数民族不是在移民的压力下迁入深山自生自灭,就是逐步汉化,只留下几个人口规模大的民族至今还保留自己的传统文明。汉人没涉足西藏,是因藏区地理气候因素的限制。改革开放之后,现代科技提供的生存手段使汉人移居西藏有了可能,同时也将共产党治下汉人的种种恶习带上那块土地,比如黄色性产业以及其它的糜烂之习,将拉萨这座藏人心目中的“圣城”变成了与其它汉人城市同样不堪的恶俗之地,西方一些偏好西藏文化的学者对这点深恶痛绝,更不用说重视传统的西藏人了。

上述这些,使汉藏两族在沟通上存在不少障碍。这种混合着种种因素的民族主义情绪也很容易被中国政府利用。理解了上述几点,对中国汉人一边倒地支持本国政府的西藏政策也就不会惊讶了。

(原载《看》双周刊,第9期,2008年4月10日)

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by yaponluq | 2009-02-21 01:14 | 西藏/チベット
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所:ラサのチベット人青年による証言
ラサのチベット人青年による証言
http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080519_lhasa.html

2008年5月19日 チベット人権民主センター(TCHRD)
 2008年3月のラサ騒乱直後の混乱時に逮捕されたチベット人青年による証言をチベット人権民主センター(TCHRD) が入手した。想像を絶する拷問の様子、廊下に苦痛の叫びが響く中、監禁された人々から次々に聞かされる凄惨極める話。この、詳細にわたる数少ない証言の中で青年は、収容所内での監禁生活の様子を語り真情を吐露している。再生された以下の文章は第三者によって書き取られたものを、青年の身元が明かされないよう TCHRD が編集したものである。(*)は記載を控えた部分。[ ]内は追加された詳細、説明、コメントである。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

3月(*)日、100人ほどの兵士が私の家に乱入してきた。5つのドアを壊しあらゆる物を物色した。投げ捨てられた物が床に散乱した。彼らはそこに居合わせた人間を誰彼構わず殴った。不法侵入を受け、その上強盗に遭ったようだった。彼らは小銃を携えていて、とても乱暴だった。私は逮捕され両手の親指を後ろ手に固く縛られて連行された。余りひどくきつく縛られたせいで未だに周囲が麻痺している。頭を何度も殴られ、殺されるのかと思った。骨が折れても不思議はないくらい殴られた。しかし彼らは私を殺さず収容所に連行した。それから4日間、投獄されただけで尋問は一切なかった。一日に与えられた食べ物は蒸した饅頭半分のみ。本当にわずかな食物だった。投獄されていた誰もが水を欲しがり、多くの者が自分の小水で渇きをしのいでいた。[拘留者には水が与えられていなかった。]衣類も毛布も、寝具も何もなかった。[コンクリートの床があるだけだった。]とても寒かった。4日間、彼らは我々をそこに放置したまま、話しかけてもこなかった。

昼間は静かだった‥‥ラサの街は昼は何事もなかった。夜11時から[明け方の]5時、6時にかけて何千という人が逮捕された。投獄された部屋で、4、5日してから白湯と蒸した饅頭二個を与えられた。その部屋には(*)人が監禁されていた。本当にひどかった‥‥ひどい話しをたくさん聞いた。腕や足の骨を折られたり発砲され負傷したものが大勢いた。誰も病院には連れて行ってもらえなかった。みんなそこに放置されたままだった。まったく恐ろしい光景だ。21世紀に生きているとはとても思えない。銃で4回も撃たれた少年がいた。傷が一ヶ所はここに[左肩後方から左胸心臓近くまで貫通]、もう一ヶ所はここからここまで[左肘内側から手首にかけて]それからここにも[右上腕に横の傷]。肋骨を折られた人もいた。一人の男性は[右の]目を殴られて内出血して顔が腫れ上がっていた。とにかくひどいんだ‥‥歯を折られたり‥‥ほかにもいろいろだ。本当に恐ろしい目にあったんだ。

食べ物がなかったのは辛かった。ひどい空腹のために人がばたばた倒れた。少年が一人トイレに倒れ込んだ‥トイレも部屋の中にあった‥何もかも同じ部屋の中にあるんだ‥その少年はトイレで顔を打ちあごを切った[あごのラインに沿って横一文字に]。精神的に参っている人たちも大勢いた。初めに倒れたのはそういう人たちだ。ツェタン出身の少年は心の病をもっていて‥とても痩せた子だ‥初めのうち日に2、3度気を失って倒れたがそのまま放っておかれた。

ラサには19の収容所がある。一番ひどいのはゴンシェ収容所だ。ラサの収容所で一番大きいのが タプチェ。チュシュル 県にも一つあるがその二つには誰も収容されていない。外部の人間にはそこを見せるんだ。見せて誰も囚われてはいないと言うんだ。駅に普通収容所はないが、駅の大きな建物を借りてそこを収容所代わりに使っている。その建物と トゥルン・デチェン 県、あとは ゴンシェだ。その三ヶ所に人々は監禁されている。夜になると大型バスで兵士がやってくる。そしてそこから100~150人が トゥルン に移送される。兵士は口々に「家に帰る時間だ。何も悪いことをしていないのだから家に帰るんだ。」と言いながら、人々をバスに乗せトゥルンか駅の収容所に連れて行った。連行された者たちは秩序なくばらばらに混ぜられ、別の収容所へと移送された。私は直接見たわけではないが、トゥルン では数人の僧侶の頭に布袋が被されていたと友人らが言っていた。僧侶たちはどこかに連行されたまま戻ってはこなかった。殺されてしまったのかもしれない。

私が会った65歳の男性は肋骨を2本折られていて上半身が曲がった状態でうずくまっていた[体を曲げてみせた]。まっすぐに出来ないんだ。瀕死の状態だった。公安官が彼を人民病院に連れて行ったが、あそこでは毎日、公安に暴力を振るわれた人が一人二人と死んでいくんだ。病院に連れて行かれるのは銃弾を受けたか殴られたかした人たちで、大抵そこで死ぬことになる。(*)から来たある姉弟は、ある日突然寝ているところを兵士たちに襲われた。兵士はまるで物みたいに彼らを窓から建物の外へ放り投げたんだ。弟の方は即死だった。そうだよ、建物の外に投げ落としたんだ。それでも姉は死ななかった。横たわる彼女に兵士らは座ることを強要した。弟の遺体はどこかに移され、姉はこの出来事を口外するなと命令された‥これらはほんの一例で、こんな話しがいっぱいあるんだ。

何もしていない人たちも尋問を受けた。何もしていなくてもチベット人であるというだけで有罪になった。チベットにはたくさんの県があるが各地から人々の安否を気遣って公安に問い合わせがあった。彼らが見せられたのはラサ以外のいろいろな場所‥空の拘置所など都合のいい場所だけだ。(*)寺の僧侶たち、家族や友人、未だに居所のわからない者が大勢いる。

ラサには兵士はいないと言われているがあれは嘘だ。みんな民間人を装っていてチベット人を監視しているんだ。

私はチベットで今何が起きているかを話したい。みんなに知ってもらわなければ‥自分は何をされても構わない。でも家族は無事でいて欲しい。何も悪いことはしていないんだ。

『仲間が密告したために、お前はここに連れてこられたのだ』と収容所の監視人に言われた。私にも(*)寺に友人がいるが死んでも仲間を売ったりはしない。

真新しいジャケットを身につけたダデシェ [おそらく康定県]出身の男性がいたが、彼はジャケットを剥ぎ取られて殴り殺された。このジャケットは盗んだに違いない、と言われて。そうなんだ、新品のジャケットを着ていたために彼は殺されたんだ。

Sauko の高校生も大勢いた。17歳の学生は[3月]14日の抗議行動には参加していなかったが拷問を受けた。彼は服を脱がされ手を縛られて荷車で轢かれた。ありとあらゆる拷問がある。後で彼が言っていたが、やってもいないことを強制的に自白させられたらしい。多くの人がそうやって嘘の自白を強要されるんだ。収容所で死んだ人を目にすることは無かったが、『死人が出た』と公安や兵士を呼ぶ声を毎日聞いた。ゴンシェには9棟の建物がありそれぞれに11の部屋があった。一部屋に20~30人が監禁されていた。ある日、『何人位のチベット人が逮捕されたか』という問いに対して、ある中国人が、一万人弱だろうと答えるのを聞いた。しかも そこにはデプン、セラ、ラモチェ、ジョカンからの人たちは含まれていないらしかった。我々が釈放されると、彼らは僧侶たちを逮捕した。収容所を出てから聞いたのだが、デプン寺で多くの逮捕者が出たらしい。私は4月(*)日に釈放された。

釈放前にラモチェの僧侶に会った。僧侶たちのことは本当に心配だ。兵士らの僧侶の扱いは格段にひどい。デルゲ県の僧侶は指が湾曲していたうえ、片目が完全に失明していた。我々なんかよりももっとひどい拷問を受けたんだ。本当にどうして僧侶たちにあんなひどい仕打ちをするのかわからない。ひどすぎる。

同じ収容所にいた(*)からの少年の話しでは、ラサのラモチェの近くに住む彼の友人二人は、銃撃に遭い負傷したそうだ。一人は21歳の青年‥‥名前は忘れてしまったが‥‥彼は尼僧院に運ばれたがそこで亡くなった。もう一人は20歳の青年で病院に収容されている。彼ももつかはわからない。ガンス通りで撃たれたらし い。

ラサ近郊の アニシム(Anishim) から来た少年の友人二人も銃弾を受け亡くなっている。二人は兄弟で、どちらかが18歳。ペンポの出身だ。ゴンシェの収容所にはペンポ出身者が大勢いた。

昼間は本当に静かなんだ。何もかもが夜に起こった。すべてが内密に進められた。デプンやセラ、そして例の駅とは電話は通じなくなっている。駅にはたまに繋がることがあるが、それも稀で、基本的に誰も連絡がとれない状態だ。

インドにいる親類に、インターネットを使って私が見聞きしたことを知らせようと思った。ワードを使って何行か書き、セーブしたところで突然書いたもの全てが消えてしまったんだ。とても怖かった。海外に大勢友人がいてメールを送ってくれても、それを開くことができなくなっている。

中国当局は、外見上何事もないように装ってはいるが、現実は極めて悲惨だ。彼らは事を荒立てておいてそれを我々の仕業に仕立て上げようとしている。ラモチェでは抗議行動が起こらなかったにもかかわらず寺という寺が何千という人民軍の兵に包囲され、軍の車が監獄のように門を閉鎖した。もうこれ以上我慢は出来ない。人は寛容であるべきだが、これ以上寛容にはなれない。我々に人権はない。ここにあるのは文化的ジェノサイドだ。‥‥それは大きな図だ。もっと細部をみてみよう。例えばラサの街。一体何人のチベット人が北京路や ゲンシュ路のような大通りで商売をしているだろう?チベットのラサなんだ。中国の話しじゃないんだ。チベット人には生きていく資格もないのか?大都市で教育を受けた中国人たちは我々より有能だろう。経験もあれば資金もある。それに比べてチベット人は地方出身だ。農民だったり遊牧民だったり。お金だってない。そういう人間がどうやってラサで商売をやっていけるだろう?中国人が道のあちら側で商売をするなら、なぜこちら側で商いをさせてもらえないのだ?バランスがとれるというものではないか。能力も教養もあるチベット人だって大勢いるのに起業する資金がないのだ。裕福なチベット人は北京や上海にしかいない。しかもそれもごくわずかだ。

私はチベットでチベット人がどのように生き、そしてまた中国人がどのように生きているかを見て知っている。チベット人が優遇される必要はない。しかし調和が必要だ。

中国政府から年金をもらって生活している老いたチベット人がテレビで同じチベット人の悪口を言わされているが、おかしくて笑ってしまう。海外にはチベット人の人権のために闘っている人たちが大勢いる。とても心強いことだ。私は家でもっといろいろと学びたいと思っているのにそれが出来ないのがとても悔しい。テレビで流れるのは嘘ばかりだ。本当に胸が痛む[胸を指差す]。

通りを歩いていると兵士がやってきて身分証明の提示を求める。『どこの出身だ?』と聞かれて少しでも間違えればもうおしまいだ。写真と顔を照らし合わされる。中国人なら[証明証なしで]パスなのに。

以前は最高の場所だったのに、今では牢獄のようだ。ラサがこんなふうになってしまうなんて。収容所に監禁されていた時、チベット人の公安官が親指を後ろ手に縛られている私に『ここに跪け』と命じた。その男は私の前[の椅子]に座ると私の頭を足で押さえつけ、額を蹴った。それから頭を後ろに反らせると顔を何度も何度も殴った。男の顔を見たがとても悲しかったよ。彼はそれでもチベット人なんだ。それ以来、その男を何度も見かけている。何人もの中国人やチベット人が私に馬乗りになって殴ったり蹴ったりの乱暴をはたらいたが、顔を見られたくないから人の顔をねじ曲げながらそういうことをするんだ。人の目を見ながら面と向かってひどい仕打ちをする‥‥こんなひどいことはない。

これは私にとって経験だ。学ぶことはたくさんある。監禁されている時に何度か食べ物の夢を見て、家の食事のことを思い出した。母と姉の作る食事。匂いまで思い出した。その時家の食事のおいしさを本当にありがたいと思った。食事を終えて『まあまあだったね』なんてよく言っていたけれど本当はとてもとてもおいしかったんだ。こんなに残酷で悲惨な経験をしたことはなかったけれど、それでもそこから学ぶことはある。よりよい人間になることができる。たまに(*)の子どもたちが学校の勉強をさぼっていたりすると怒鳴ったり叩いたりしたのだが、今では声を荒げるだけで心が痛む。いろいろ学んだんだ。

チベット人がどんどん減っていくのがとても心配だ。多くの人たちが命を落とし、そうでなければ手足を折られて不自由な体にさせられている。ひどいことだ。私がそうだったように逮捕され監禁されている人たちもいる。収容所に監禁されている人たちのことは決して頭から離れない。あのひどい状況‥‥わずか16、17歳の若者が始終泣き叫んでいるんだ。悲惨だ。手足を折られた人たち、銃弾で傷ついた人々‥‥彼らの青白い顔‥‥悲しみで胸が張り裂けそうだ。

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by yaponluq | 2008-06-17 01:07 | 西藏/チベット
梁文道:チベット問題を解決するための最大公約数
為西藏問題尋找最大公約數----期待民族的和解
http://duting.blshe.com/post/3272/184561


文:梁文道



 2006年,達賴喇嘛在印度舉行時輪金剛灌頂法會,他在會上批評當今藏人喜好皮草的虛華作風不僅庸俗,而且有違佛教義理。幾天之後,西藏各地就有人紛紛公開焚燒價格高昂的豹皮外衣狐狸帽子。當地官員大為震怒,認為這是以「達賴喇嘛為首的藏獨分子的精心運作」,然後下令藏人要重新穿上皮衣,因為它們證明了黨的德政使大家過上了好日子,甚至以穿不穿戴皮草來檢證大家的「政治覺悟」(關於這次事件的詳情,可以參見西藏作家唯色的《看不見的西藏》)。

這樁近乎鬧劇的事件可以說明兩個問題:一是北京為何在國際民間外交的戰場上佔不去達蘭薩拉的上風,二是流亡在外的達賴喇嘛為什麼在藏人心目中仍然享有如此巨大的影響力。

先談第一點。現在恐怕沒有任何一個國家膽敢得罪中國,承認西藏流亡政府的地位。但是在民間社會的層面上,情形就完全不同了。對大部分西方人而言,達賴喇嘛甚至可能是位比現任教宗本篤十六世還要受歡迎的宗教領袖。達賴喇嘛極少談及本篤十六世關心的墮胎和「性氾濫」等很容易被人批為保守的議題,他的主題一直是 和平、寬容、理解和慈悲,所以就算不能贏得所有人的支持,至少也沒有多少人會對他有惡感。

為什麼每次西藏出事,每次有藏獨的集會遊行,我們都會看見一大群演員、名流、作家和知識分子站出來支持他們?相反地,支持中國政府的「國際友人」這時都到 哪裏去了呢?對很多人來說,達賴喇嘛代表了一套美善而完整的價值觀,他對西藏的種種訴求則符合了當今人權觀念的整個論述。再赤裸點說,大家會覺得聲援達賴 喇嘛是為了「義」,給中國面子反對分裂則是為了「利」。

再也沒有比06年「皮草事件」更好的例子了。達賴喇嘛的主張不只出自慈悲,更與流行的動物權益運動若合符節,國際進步青年聞之莫不稱善。反過來看,西藏地方官員竟然為了抵制達賴喇嘛的影響,不惜違反世界潮流和保護野生動物的國家方針,要求藏民重新披上動物的皮毛。其間高下實不可以道里計。



比起這點,第二個問題或許更令北京憂心。達賴喇嘛人在印度50年,其一言一行在藏區竟然還有如斯巨大的影響力,原因究竟何在?近日的藏區紛亂,官方一直強調是「達賴集團」在幕後精心策劃出來的,我以為這個說法必須好好分析。首先,所謂「達賴集團」指的其實不一定是達賴本人。凡對西藏問題略有所知者,都知道「西藏青年大會」才是流亡西藏人中的激進派,他們的勢力龐大網絡周全,雖然奉達賴喇嘛為尊,但也公開批評過達賴的非暴力主張,二者潛存矛盾。我們目前雖然沒有足夠資訊研判內情,但最近的事件卻不一定就是達賴本人指揮 煽動。反過來看,達賴那番若藏人暴力活動持續他就要退位的聲明,則有可能是對「西藏青年大會」等激進派的反制施壓。

然而,不管有沒有人策動藏人上街,也不管策動者是誰,中國政府首先該問的是何以它在過去數十年來投入了大量的人力財力,使西藏年均GDP每年皆有超過10%的增長,竟還有許多藏人深懷怨憤,隨時就能人手一面「雪山獅子旗」呢?以我個人所見,這甚至是不少漢族知識分子都感到難以理解的,他們有的相信官方主流論述,認為共產黨把藏人從神權統治下的農奴制解放了出來;有的則覺得漢地各省長期以來勒緊自己的褲帶對西藏施行慷慨的「對口援助」,藏民 卻毫不領情,一翻臉就不認人,甚是奇怪。

说起來,西藏問題真是一團迷霧,只要你朝它多走一步,你就會發現原來所相信的任何一種簡單立場都能碰上理據十足的反駁。不只現在的西方媒體造假與中國傳媒監控各惹嫌
疑,歷史上的詭局謎團更是令人眼花撩亂。如果你認為「自古以來」,西藏就是中國的一部分;你將會發現要花很多時間去解釋古代宗主國對藩屬的關係為什麼等同於現代民族國家和它的轄下省份(越南反而確曾是中華王朝的一省)。反過來說,如果你相信在「中國入侵」之前,西藏是片連丁點暴力都不可能發生的和平淨土;那麼你又該如何理解14任達賴喇嘛裏頭只有3位順利活到成年的事實呢?假如你覺得文革對西藏的破壞是不可饒恕的,你或許應該知道當年打砸佛寺佛像的主力之一竟然是藏人。假如你認為中央對西藏的宗教自由已經足夠寬容,甚至准許流亡在外的眾多上師返鄉建寺(最有名的當屬頂果欽哲法王);你可能也曉得現在的西藏小學生是連隨身護符也不准帶的。

關於西藏的歷史,北京和達蘭薩拉各有一套說法。前者強調老西藏是塊大部分人充當農奴的黑暗土地,是共產黨一手把它帶進了光明的現代社會。後者則將西藏描繪為一個牧歌般的和平桃源,沒有爭戰只有靈性,是無神論的共產黨摧毁了這一切。

平心而論,兩者都各有偏頗,不足為信。西藏確曾是個農奴社會,1951年前,光是三大領主經營的莊園竟然就佔了全藏可耕地的62%,其中又有37%為寺院所有。大部分平民都要在耕作之餘替領主服終身勞役。不過這些農奴的實况遠非中文裏的「奴」字所能概括,雖然身分是「奴」,但他們的物質生活卻不一定很差,所以在「劃成分」時才會出現了「富裕農奴」這麼古怪的類別。西藏確實也是個佛國,出家人所佔的人口比例舉世罕見。只不過和任何俗世社會一樣,以前的西藏也少不了各種勾心鬥角、貪污暴政甚至高層僧侶間的政治暗殺,與完美的世外桃源相去甚遠(詳見王力雄《天葬》、Melvyn Goldstein 的經典巨著《A History ofModern Tibet 1913-1951》(中譯《喇嘛王國的覆滅》) 及《The Snow Lion and the Dragon: China,Tibet and the Dalai Lama》)。



在這種種互相衝突的證據和理論之上,任何一方要是堅持自己的認知來決定行動方向,其實都是在玩一場後果難斷的賭局。為什麼明明有那麼多線索顯示與達賴喇嘛 漸行漸遠的「西藏青年大會」才是騷亂主謀,中央政府仍然堅持要把達賴拉下水呢?為什麼中央不肯聽陳思這些獨立學者的意見,趁並不堅持獨立而且態度溫和的達 賴喇嘛圓寂前與他對話呢?

這就是中國政府的賭局了。大家都曉得,就算達賴在海外轉世,一個幼年的靈童也起不了什麼作用。近日,十七世大寶法王將要接下藏人精神領袖位置的傳聞甚囂塵上,證據之一是他剛剛才公開向藏傳佛教各派上師致以由「利美運動」留下來的請安禱文,大有團結各派的意思。可是,即便尊貴如他,恐怕也代替不了達賴喇嘛在藏民與世界各地支持者心目中的地位。沒錯,達賴一走,中國就會少掉一個難以應付的對手,但是激進的「藏青會」豈不也是會趁勢崛起?各種極端的主張和暴力的 手段豈不將如脫韁野馬般地蜂擁四起?

然而,對中國政府而言,這或許也是正中下懷的好事,因為整個海外西藏流亡政府運動將會名正言順地轉變成人人得而誅之的恐怖分子,昔日的和平宗教色彩將因此一掃而空。有人可能會擔憂那些恐怖活動帶來的破壞和犧牲,不過,沒有風險又怎能叫做賭局呢?更詭異的是流亡西藏運動一旦走上了暴力路線,本來隱匿的所謂 「外國勢力」也會變得非常尷尬,他們願不願意直接敵對中國,支持一個公開放棄非暴力主義的組織呢?可見中國政府鷹派對待達賴的拖延手法其實不是外間所以為的愚蠢盲目,反而是相當聰明的。最大的問題只是中國要付出多大的代價呢?大家是否都做好了長期武裝抗爭和剛性鎮壓的準備呢?所有平民百姓知不知道以後的日子可能要在惶恐中度過呢?因為除了「疆獨」,日後或許會多出一批前所未見的劫機犯。

就算中國政府預備好了硬性的手段,面對藏人普遍的忿恨不滿;它既不可能把他們統統都蒸發掉,也不可能成功地按照自己幾十年來的邏輯,將「極少數的藏獨分子」和「絕大多數的愛國藏胞」完全分隔。另一方面,即便流亡海外的西藏獨立運動真的完成了最不可能的夢想,爭得西藏獨立;他們也不得不面對西藏境內早已住上了許多漢人和回民的現實,難道你能強迫他們全部離開嗎?更不用提四川、甘肅、青海、內蒙古等地藏區多民族混合的局面了。所以,無論你抱持何種政治立場,你也不能不認真對待漢藏等民族間日後相處的問題。於是在徹底壓抑西藏主體性與完全獨立這兩個各走極端的方向之間,我們至少就可以找到一個最起碼的共通點, 最大的公約數了,那就是真正的民族和解。



然而中國政府處理西藏問題的大方向卻簡單得出奇,那就是把一切責任都往達賴喇嘛身上推。其目的無非就是要在達賴在世的時候把他塑造成最大對手,以後就更能 充分地矮化或許會成為暴力組織的其他激進派系了。於是各級官員才會把話說得一個比一個還狠,例如公安部長孟建柱上周入藏視察時就曾放言「達賴不配做一個佛教徒」。從戰術邏輯看來,這番話是有的放矢;但是聽在藏人和藏傳佛教徒耳中,它無異於對著一群天主教徒指斥教宗不配當天主教徒,你猜他們會做何感想呢?要知道許多藏人在家私藏達賴玉照早已是公開的秘密;如果真心追求西藏問題的順利解決,維護國家領土的完整,政府豈能如此漠視藏人的感受,為了一時戰術上的功效犧牲全盤戰略的佈局,屢屢辱罵藏人的精神領袖呢?難道他們不知道這種做法只會迫使許多藏人更加陽奉陰違,甚至增加他們的離心嗎?

1998年,時任國家主席江澤民曾經公開對著來訪的美國總統克林頓說過這樣的話: 「我去年訪美的時候,也包括到歐洲的一些國家,我發現許多人教育水平很高,知識水平都很高,可是他們還是很相信喇嘛教的教義」。他的意思再明顯不過: 「喇嘛教」如此愚昧落後,你們這些文明開化的西方人怎麼還要信它呢?無論從任何標準來看,這都是番令人震驚的言論。一位國家元首怎能如此公開侮辱國內一支 主要少數民族的信仰呢?我們可以想像克林頓會說猶他州州民教育水平這麼高,還要相信摩門教真奇怪嗎?

如果連整個國家的領導人也是如此,其餘更是思過半矣。直到近年為止,隨便翻翻《西藏日報》,我們還會看見如下觀點: 「西藏由於受到歷史地理等諸多因素的制約,經濟、社會發展水平還相對落後,從封建農奴社會遺留下來的迷信、愚昧、非科學的東西至今還禁錮廣大農牧民群眾的思想」。令人感慨的是,除了政府和官方媒體之外,就連一些知識分子也就著最近的事件中動輒放言「藏人的民族性天真淳樸,很容易受人迷惑」。即便對西藏問 題一向開明中肯的民間學者王力雄也有他的盲點,他除了曾用「喇嘛教」這個充滿漢地佛教偏見的稱謂指稱藏傳佛教或藏人喜用的「金剛乘」之外,也不能免俗地以 簡單的環境決定論去說明藏人對宗教的渴求。



走筆至此,我們不難發現所謂西藏問題其實有一半是漢人自己的問題。從在上位者一直到民間百姓,不只對西藏的民情文化沒有起碼的認識和尊重,更對複雜纖細的 民族問題毫不敏感。進而言之,中華人民共和國雖說是多民族國家,但我們的少數民族政策卻從來都是不完整的,一是因為我們只是單向地把它看成是對少數民族做工作,卻從未反省漢人為主的主要族群該如何與其他民族共存;二是這些政策的範圍相當狹隘,沒有把民族視野恰當地貫注在其他政策之內。

且以文革遺產的清理為例。根據班禪喇嘛早在文革爆發前4年向中央委員會遞交的「七萬言意見書」: 「民改前的西藏有大、中、小寺廟2500 餘座,而民改後由政府留下來的僅只有70 多座,減少了97%多,由於大部分寺廟沒人居住,所以大經堂等神殿僧舍無人管,人為的和非人為的損害,破壞巨大,淪於已倒塌和正在倒塌的境地」。到了文革那十年,僧人被迫還俗,佛寺遭到洗劫的慘狀就更是變本加厲了。有些論者承認這種種做為對西藏造成的災害確實很巨大,但轉頭卻說不只西藏, 「那十年裏全國各地一樣受害」,言下之意是大伙過去都遭殃了,你們藏人不該老拿這些往事出來說三道四。這就是對民族問題不敏感的絕佳例子了,他們似乎完全不明白同樣是文革,對漢人而言或許是自己人鬥自己人,但到了西藏卻是你們漢人帶頭來搞我們西藏人了。所以在處理這些歷史傷痕的時候,政府應該格外小心,不能只是出錢修復廟宇,甚至還要採取比在漢地更徹地的解決方案(例如查明歷史真相和道歉),方能締造民族和解的基礎。

比起雖有魁北克問題但大體上和平的加拿大,中國其實一直沒有認真實行過多元文化的路線。首先,我們要知道所謂的「普通話」其實就是現代漢語。當許多官員誇 誇其談西藏的教育普及做得如何之好的時候,大概沒有想過對藏族青少年來講,他們正在學著掌握一種非母語,且要用它為工具和來自漢地的同齡人競逐大學的入學 機會以及政府公職,其間的差異足以造成重點大學藏人入學率偏低的情形。

假如准許用藏文考高考的想法太過不切實際,讓各地中學開設藏語和維吾爾語選修班也十分異想天開的話,我們能不能審視一下現有的教材內容呢?翻翻歷史課本,身為多民族共存的現代國家,我們念的卻還是唐宋元明的王朝世系,那你要置吐蕃王國於何地呢?番邦嗎?同樣地,農曆新年是法定假期,那麼藏曆新年呢?就算不用全國放假,漢人學子也該學點藏曆和回曆的基本紀年知識吧。

真正完整的民族政策,不可能只是保障各少數民族在自己居住地內的傳統文化和權益,更不可以只是讓他們學融入漢人定義的「中華文化」;而是要讓人口佔多數的漢人也學懂其他民族的文化傳統,平等地對待其他民族。



我在電視上看見一些青年僧人也參與了近月的事件,甚至還拿起了石塊和棍棒......他們的憤怒我只能盡量體會。現謹摘抄13世紀偉大的成就者嘉瑟.戊初.東美〈菩薩行三十七頌〉片段如下,祈願藏漢的真正和解:

「即使有人用各種難聽的話貶損我,並且在千萬個世界中到處張揚,出於慈悲,我讚美這個人的功德,乃是菩薩的修行。」

「在大型集會之中,某人用侮辱的語言揭露我隱藏的缺陷,恭敬地向他行禮,視其為法友,乃是菩薩的修行。」

「被我視如己出地來關愛的人待我為仇敵,如母親愛生病的孩子一般更加愛他,乃是菩薩的修行。」

「如果有人即將斬下我的頭,即使我沒有絲毫過錯,透過悲心的力量,擔負他所有的惡業,乃是菩薩的修行。」


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ブログ「思いつくまま」さんが日本語に翻訳しています
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/d0f2c0a6721568bfa2b986c52837268e
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by yaponluq | 2008-06-15 01:16 | 西藏/チベット
陳思:チベット蜂起の背景
內地博客陳思:沙龙里关于西藏事件的座谈笔录

週二, 2008-03-25 21:50 — 葉寶琳
http://www.inmediahk.net/node/312630


對于這次西藏自治區和其他各省藏區的此起彼伏的示威游行和暴動,北京政府信誓旦旦地向中國民衆和全世界説有確鑿的證據顯示是“達賴集團在背後策劃和煽動”的;網上也有很多讀者評論認為,中國政府對西藏的經濟建設的支持力度已經够大了,西藏人民的生活已經發生了天翻地覆的變化,西藏人應該知足感恩了。但是大多數人不知道的是,自從1959年達賴喇嘛被迫離開西藏至印度避難以後,直至今天,每年還有男女老少數千人,背着乾糧,徒步穿越整個喜馬拉雅山脉,翻過這個世界的屋脊,繞過中國和尼泊爾的邊境防守,最後到達印度,去投奔達賴喇嘛。這其中的很多人都在穿越海拔幾千米高的雪山的過程中冷死或者餓死甚至摔死了,而西藏流亡政府的所在地達蘭沙拉的醫院裏,每個月都有新的到達者,其中就有很多是因為路途中被嚴重凍傷,而不得不做手或者脚的截除手術。中國人已經習慣了以經濟建設為綱,以為經濟上去了,建設好了,就等于一切了。中國人大多没有過宗教生活和精神生活的體驗,再加上政府對宗教的歪曲宣傳和對西藏歷史(譬如所謂的農奴制度)的刻意攥改,漢人在西藏不能理解和尊重西藏人的行為就很自然了。北京政府以為經過了這麽幾十年的宣傳和教育,受到了經濟建設的益處的藏人應該對他們感恩戴德了,而且也應該已經在他們的宣傳下,開始對“達賴集團”産生反感厭惡了。但是北京政府没有處理好的是什麽呢,經濟建設是有了,但是受益的并不是藏民,更多的是蜂擁進去的以四川人為主的漢人,在整個藏區,西藏人被徹底地邊緣化,被歧視,被排擠,無論是從經濟上還是從政治上。我在西藏各地區與很多當地人人聊天,的確有很多人認為,現在的生活水平是普遍提高了,但是社會地位却降低了。政府嚴厲禁止任何藏民藏有達賴喇嘛的任何照片和書籍,但現實情况是幾乎家家户户都私自珍藏着他的照片,哪怕只是一個小頭像挂墜。從這裏可以看出來,西藏人内心深處還是很懷念達賴喇嘛的。

整個拉薩,看起來挺繁華的縱横街道上,有着數不清的大小商鋪,百貨市場,娱樂消遣,但這些基本上都是漢人的,屬于藏人的没多少家。不但如此,基本上是漢人群體的出租車司機看到藏人都會繞着走,盡量不載或直接拒載。他們認為藏人衣着肮贜,身上有難聞的氣味。西藏人在自己的土地上,成為被歧視的少數民族和二等公民。他們心裏普遍有着嚴重的被歧視被欺負的耻辱感,這種耻辱和憤怒積累到一定的程度,就肯定要爆發出來。但藏人所希望的不是像北京所誣蔑的那様,尋求獨立呢?我所了解的情况是,大多數的西藏人首先認為自己是中國人,其次才是藏民。所以他們的内心所尋求的,并不是什麽獨立;絶大多數人也其實不清楚“獨立”意味着什麽,他們以為獨立了,就可以過自己的日子,不需要這様受歧視和羞辱了。

那麽印度那邊的情况又如何呢?達賴喇嘛1959年到到達印度後,通過幾次的國外考察之後,這個西藏最高領袖認為民主是好東西,一定要實現民主。于是乎,歷史上就出現了一次由君主强制實行的一次民主,由上至下直接實行的民主。百分之九十的西藏人不理解,并且在投票中表示反對。他們認為達賴喇嘛的權威不可替代,不能接受其他人擔任他們的領袖。但是達賴喇嘛堅持認為民主是好東西,對人民有好處,還是義無反顧地解散了舊有的噶厦政制,重新重組了議會制的内閣政府。内閣總理和各部長由全體流亡藏民投票選舉,達賴喇嘛自己不是總理或者任何實際職務,但從我的觀察來看,他還是實際上的領袖;和他們的内閣部長等接觸來看,流亡政府的各項政策,基本還是由達賴喇嘛説了算。内閣還是以實行達賴的路綫為主,流亡藏人大多數都支持達賴的和平路綫。

當然也有不支持達賴喇嘛路綫的,他們的比達賴喇嘛要激進得多,其政治訴求就是一個獨立“大藏區”。他們通過成立藏青會(西藏青年國會),舉行集會,向藏人和海外宣傳,來表達他們的獨立訴求和提高他們的影響。藏青會的成員大多數教育背景良好,基本上是學生,學者,商人,很少有普通的藏民。其領袖很多是從歐美留學回來的藏人。

早些時候,譬如説2000年之前,藏青會的成員普遍還比較年輕,他們争取獨立的方式也還是很平和。很多時候只是在支持這流亡政府做一些協助性的工作。那時候,藏青會有幾個特點.第一,他們年輕,以大學生和學者群體為主。第二,他們温和,他們也不主張暴力方式.第三,還是2001年的時候,我與他們的成員聊天,感覺他們還是很尊重達賴,只是他們説達賴太善良了,不懂得政治的醜惡。譬如説,達賴的哥哥與北京政府談判,都已經N次被北京政府耍了。他在政治上,是不是太善良了和過于理想主義?!達賴喇嘛常常在幾萬人的集會上,與藏民們説:我對與北京的談判很樂觀,估計兩三年之後就有進展。給很多藏民的感覺是,達賴喇嘛是個好的宗教領袖,是個寬厚的人,也因為如此,他把政治想得過于簡單了。後來北京談判又再次破裂,這對藏民來説,有集體羞辱的效果。達賴對藏民説,再等等吧。從七八十年代開始,他都是這様講的,都是説很樂觀,兩三年内就可以回西藏了。進入了21世紀以後,流亡藏民們已經漸漸適應了在印度和海外的流亡生活,也漸漸適應了達賴喇嘛的樂觀了。

大概是2003年的談判失敗,對藏民又是一次重大的集體羞辱,北京方面基本上也不怎麽見達賴喇嘛的的哥哥。達賴喇嘛此前在公開場合表示,希望展開談判,他們只是希望北京政府應尊重我們的宗教生活,尊重我們的風俗,其他的經濟軍事和外交等都可以有北京政府管理。但是達賴喇嘛的哥哥也没怎麽能與北京進行真正的談判,北京就一直堅稱達賴還是有獨立之心,這邊達賴喇嘛剛説完他們不想要獨立,這邊北京政府立馬公布就説達賴喇嘛没有誠意,獨立之心不死。國際社會都看得很明白,就大陸的中國人真的相信達賴喇嘛要獨立了。這様的環境下,就造成了整體的流亡藏人都有一種被羞辱的感覺,對達賴喇嘛的路綫又一次産生了懷疑。有個別的激進的藏青會分子,甚至張貼告示説要和達賴喇嘛决裂,更激進的甚至揚言説要殺死他以掃清通往獨立的大道。
説得難聽一點,達賴像個小孩,天真而且寬厚,這在政治上就南面常常被善于政治手段的北京政府所玩弄。北京政府認為達賴喇嘛現在根本没有談判的籌碼,所以只盼着他死,等他死後,西藏就没有了精神領袖了,那時候就好處理了。

達賴喇嘛也意料到了這一點,十一世班禪喇嘛的事情給他一個極大的教訓與警示。(我不知道你們知不知道活佛傳統?達賴喇嘛和班禪大師是宗喀巴大師的兩大弟子,他們誓願要生生世世守護宗喀巴大師的教法。如果達賴喇嘛先去世的話,班禪喇嘛就負責把他的靈童找出來;反之亦然。這兩個人的傳統至今已經有十幾世了。這一世的達賴喇嘛是十四世,班禪喇嘛是十一世。所以按照傳統,在第十世的班禪額爾德尼喇嘛去達之後,西藏的扎什倫布寺根據他的遺言,開始了十一世靈童的尋訪。扎什倫布寺在給北京傳遞尋訪的發展的同時,或者之前,都給印度的達賴喇嘛發去了最新進展的報告。因此,達賴喇嘛得以搶在北京之前,確認了十一世班禪喇嘛。并且在他的授意之下,進行了坐床儀式。北京聞訊大怒,接着下來的事情就是, 只有十嵗大十一世班禪連同他的父母等人突然人間蒸發,至今下落不明。我們在國外,經常會看到在宗教場所:尋找十嵗的十一世班禪。這些事情大陸中國人都不知道。曾經在新聞發布會時,有外國記者問起此事,發言人曾經回答説:你們放心好了,他們活得好好的,不希望受到外界的乾擾。這就間接説明了十一世班禪還没死。現在我們見到的班禪喇嘛,就是真正的班禪喇嘛被人間蒸發之後,由北京政府大張旗鼓地弄出來的,他前兩年一出山,就立刻發表活佛日記,説黨多麽好,恩情多深。説明黨的教育還是很成功的。如果這個十四世的達賴喇嘛死了,按傳統,十五世達賴喇嘛還會到來,那麽北京政府就有可能再次操控靈童的遴選和教育。所以,達賴宣布,十四世的達賴喇嘛可能是最後一世了,這是為了避免類似情况的發生。

那麽達賴喇嘛不再來了的話,西藏的政教領袖會落在誰在身上?我們所知道的,就是十七世的大寶法王。他早已經逃亡到印度,和自己的上師在一起,佛法和政治上已經相當成熟了。從種種迹象上來看,他肯定會是達賴喇嘛的繼承人。十七世大寶法王到印度,就是為了和自己的上師會合,接受更系統的教學。從世俗政體的觀點來看,他二十多嵗,就是内定的接班人了。他在藏族和佛學界的的威望越來越高,并且他在印度的住處也被安排在離達賴喇嘛不遠的地方。

問題就在于,達賴喇嘛的威望,在很長時間内,大寶法王是無法替代的。即使達賴喇嘛十年後才去世,大寶法王也才三十多嵗。在這種情况之下,屢遭失敗的藏青會,會在競争上越來越有技巧,越來越成熟和具有威望。達賴喇嘛是四大佛教至高無上的領袖。四大派的領袖從佛法修養上和人格道德上是忠心欽服達賴的。藏傳佛教有四大教派,達賴即是四大教派的領袖,也是政治上的領袖。按我的觀察,我判斷西藏流亡政府與流亡藏民的趨勢,達賴喇嘛死後,大寶法王會成為精神領袖,而藏青會則會迅速崛起,成為流亡政府的主流政治力量,更加暴力地對付北京政府。藏青會會通過宣傳,選舉而主導政府内閣,建立世俗的政權,他們的政策就肯定不會再是中間路綫,不會是和平的,而是脱離佛教本懷的暴力手段。主導政府之後,他們所訴求的是獨立,因此北京政府的愚昧就在於不能在達賴喇嘛有生之年,妥善處理好這個事情,非要等到藏青會漸漸從温和到暴力,從在野到當政,那時候西藏就烽烟四起,更難收拾了。

我去過西藏大學,專門了解了一下他們的學科人口比例,裏面大致有經管學院,有科學學院,有藏語言文學院。在經管與科學學院裏面,從招生的要求來説,百分之七十五以上是分配給漢人。藏民要讀西藏大學,大多數人只能去藏語言系。教歷史的話,講到西藏的過去,那就是農奴制,不能講佛法,不能講傳統。在所有的小學裏面一律教漢語,不能教西藏的文字和文化,即便有也是相當淺的層次。我在學生宿舍裏見到一些内地省份的人跑到西藏大學上學,問他們為何選擇那麽偏遠的西藏,他們説這裏讀書包分配,基本上都能進去政府機關。所以西藏的政府和企事業單位的人選和格局就這様被准備好了。商業方面,在西藏大多數的人,來自四川與浙江等地,西藏人幾乎没有立足的地方。西藏人有一些行為和我們不同,他們之中往往有些人賺了一些錢就不乾了,够用就好了。或者他們有的人挣錢到一定程度,機緣巧合,接觸到一位活佛,頓悟了人生的道理,馬上就把錢財布施出去,只剩下一些基本的生活條件。因此他們與真正的内地商人無法競争,也因此被迅速地邊緣化。

那麽西藏人所最重視的佛法信仰情况又是怎麽様的呢?2003年的時候,西方有對中國限制西藏的信仰自由的批評。北京立即反駁説此事純屬污蔑,説西藏人們有充分的信仰自由,國務院還拿出大昭寺的門口的相片,展示很多人在門口跪拜的情景。可是大昭寺本來作為西藏最高佛殿的只能已經失去了,現在是有政府找幾個僧人在那裏做一下管理,允許游客進入,但收費是很貴的,大昭寺成為西藏的政府的其中一個主要收入來源。我們去西藏旅游的人,是肯定要去大昭寺的。可是現在大昭寺僅剩軀殻,裏面没有講經説法,没有授業傳道,没有真正的高僧了。格魯派三大寺的領袖都秘密流亡到印度,所以在拉薩的三大寺的教學質量不行。藏人為了保存他們佛法傳承系統,在印度又重建了三大寺,每個寺都有成千上萬的人在那上學習。每個寺都有人在那負責募捐。

西藏很多小寺廟被焼毁。過去一些很年輕的解放軍戰士們認為,出家當和尚尼姑,不結婚是愚昧的。有些年輕的解放軍在西藏犯下了很多罪行,還有資料顯示有人拿槍逼着和尚和尼姑當衆做愛。80年的時候胡耀邦去那視察之後,實在看不下去,回到北京就將很多領袖撤走。四川色達五明佛學院,作為西藏最大的佛法傳承基地,在最興盛時期,吸引了幾萬漢藏信衆來投奔追隨,在一個山榖中,幾萬個小木屋團團圍着榖底中間的幾個小寺廟,非常壯觀。但是政府突然勒令説要兩三萬的男性信衆减到一千人,女性追隨者被要求减到四百。他們還在當地雇了流氓,據佛學院的人説,對流氓們“包吃包住包嫖”,將他們的木屋大肆拆毁,不准再運木材進去。這様的大批的人被冷死,餓死.有一些尼姑的屍體都被老鷹秃鷲吃掉。這是2002年的事。我親自到過那裏,看到被摧毁的木房。如果你是藏民,你會怎麽想,你會怎麽做?到現在為止,還没有一個國家領導人對那些在西藏的漢人們説,你要理解西藏人的生活習慣,習俗與傳統,要盡量去尊重他們。所以,偷偷地跑到印度去學習的人,有良好的教育,擅長英語,學習完畢之後不斷地回到西藏。他們不能進去政府管理系統和企事業單位,只能教英語和當導游。他們是來自西藏的千家萬户,他們有高學歷,他們在達賴喇嘛身邊待過。這種號召力和影響力是無窮的。這等於歐洲古代時期,在一個邊遠的宗教區域,突然有個年輕人從梵帝岡學習回來了那種效果。他們這群人在西藏,青海,和四川藏區發揮了很大的影響,他們是意見和言論的領袖。除了藏青會之外,還有在三大寺裏的那些喇嘛們。他們從印度學習回來,又繼續在三大寺裏教學。他們一様影響到西藏的宗教團體。

今年發生的從三月十日開始的事情,從以上的分析上看就非常自然了。再加上,三月十日是西藏的起義紀念日,再加上奥運,大家都覺得可能可以借機發泄一下,引起更多的國内外的關注吧。我堅定認為,達賴喇嘛絶不可能在背後主使和煽動此事。他認為,你要相信因果。如果因是暴力,那麽由這様的因得出來的果就絶對不可能是和平。所以他堅决反對通過任何暴力手段來達到政治目的。世界上和歷史上有很多族群已經和正在利用暴力,通過流血來取得他們的政治訴求,而達賴喇嘛却帶領着這個龐大的民族群體,不斷通過溝通與談判來促使這件事的發展,在這一點上,也是非常值得我們敬仰,值得全球人民學習的。他被授予諾貝爾和平奬也是這個原因吧。

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by yaponluq | 2008-06-08 23:33 | 西藏/チベット
チベット : 世界最年少の政治犯
Wikipedia : 本物のパンチェン・ラマ「ゲンドゥン・チューキ・ニマ」
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 : パンチェン・ラマとは


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The Youngest Political Prisoner goes to … Tibet!
Posted by uponsnow on December 7, 2006
http://uponsnow.wordpress.com/

西藏再度蝉联最年幼政治犯世界纪录?


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曾几何时,画面上的这个小男孩,以“世界最年幼政治犯”的称号“享誉”全球,在印度、在欧洲、在美国,比他年长不多的各国学生手持他的照片,要求中国政府还他自由。

更登确吉尼玛于1989年4月25日生于西藏嘉黎宗,1995年5月17日,在达赖喇嘛宣布更登确吉尼玛为班禅喇嘛转世灵童后三天,他被中国政府从家中带走,不见踪影。国际社会持续向中国政府要求见到根敦确吉尼玛本人,联合国人权委员会、联合国人权事务高级专员、联合国人权事务高级专员公署儿童权利委员会先后向中国政府要求探视根敦确吉尼玛并与其单独接触,这些要求都被绑架他的中国政府蛮横地予以拒绝。

11年过去了,更登确吉尼玛17岁了,还没有见他回到自己的家中,但最具有讽刺意味的是,他的“世界最年幼政治犯”的称号应该是保不住了。2006年9月30日,中国边防武警在囊帕拉开枪,冷血地谋杀两名他的同胞后,又将侥幸躲过枪击的幸存者抓走。这里面,有16岁、15岁、13岁、12岁的孩子,甚至还有小到7岁的小孩。他们被武警拘捕,音信全无。

看来,事隔11年,全世界最年幼政治犯还在西藏,还是藏人。

国际声援西藏学生组织搜集并提供以下名单,希望促成他们获释。这是一个不完整的名单,可能有多达30人在事件中失踪。

* Tenwang, 7岁
* Lhakpa Tsering, 8岁
* Dhondup Lhamo, 9岁
* Dechen Dolma, 10岁
* Wangchen, 11岁
* Tsedon, 12岁
* Sonam Wangdue, 12岁
* Ming Shomo, 13岁
* Lodoe Nyima, 15岁
* Jamyang Tsetan, 16岁
* Karma Tsetan, 16岁
* Lodoe Namkha, 16岁
* Karma, 19岁
* Samten, 19岁
* Sonam Palzom, 20岁
* Dhondup Palden, 21岁
* Kusang, 22岁
* Lobsang Paljor, 35岁

 
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by yaponluq | 2008-05-10 18:15 | 西藏/チベット
Channel 4 : 緊急速報番組 / チベット潜入取材
日本の4チャンネルとはちがう! YouTubeにアップロードされた形跡がありますが、削除されたようです。
GoogleVideoには残っているので早めにチェックを

http://video.google.ca/videoplay?docid=7982410976871193492
http://en.sevenload.com/videos/K3pp3lD-Dispatches-Undercover-in-Tibet

TorrentやRapidShareにも出回っているのでダウンロードするのもいいでしょう。

Dispatches - Undercover in Tibet
http://www.channel4.com/news/articles/dispatches/undercover+in+tibet/1824047
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Broadcast: Monday 31 March 2008 08:00 PM

As Tibetan protesters take to the streets in the biggest and most bloody challenge to Chinese rule in nearly 20 years, Dispatches reports on the hidden reality of life under Chinese occupation.

Undercover in Tibet
As Tibetan protesters take to the streets in the biggest and most bloody challenge to Chinese rule in nearly 20 years, Dispatches reports on the hidden reality of life under Chinese occupation after spending three months undercover, deep inside the region. Dozens are feared dead after the recent clashes and crackdown by Chinese troops, but with reporting so rigidly controlled from the region little is known of living conditions inside Tibet.

To make this film, Tibetan exile Tash Despa returns to the homeland he risked his life to escape 11 years ago, to carry out secret filming with award-winning, Bafta-nominated director Jezza Neumann (Dispatches Special: China's Stolen Children). Risking imprisonment and deportation, he uncovers evidence of the "cultural genocide" described by the Dalai Lama.

He finds the nomadic way of life being forcefully wiped out as native Tibetans are stripped of their land and livestock and are being resettled in concrete camps. Tibet reveals the regime of terror which dominates daily life and makes freedom of expression impossible. Tash meets victims of arbitrary arrests, detention, torture and "disappearances" and uncovers evidence of enforced sterilisations on ethnic Tibetan women.

He sees for himself the impact of the enormous military and police presence in the region, and the hunger and hardship being endured by many Tibetans, and hears warnings of the uprising taking place across the provinces now.


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英导演暗访西藏 披露藏民悲惨生活
http://www.secretchina.com/news/238618.html


大纪元记者周成英国报导 2008年03月31日

英国导演诺尔曼(Jezza Neumann)几个月前对西藏进行了三个月的暗访,并记录下了藏民在中共压迫下的悲惨生活片断,其中包括遭枪杀、酷刑折磨,以及妇女被迫在简陋的条件下进行绝育。

这一记录片拍摄于拉萨近日的抗暴之前,将于3月31日在英国电视四台的“新闻急件”(Dispatches)节目中播出,英国媒体预计这部记录片将引来更多的对中共残暴政权的谴责声音。

酷刑折磨

这部记录片拍摄之前的调查工作开始于2006年,当年9月30日,一些手无寸铁藏民在试图从朗喀巴山口进入尼泊尔时遭到中共军队的开枪射击。结果两名藏民被枪杀,32人被抓捕、审问,后被送到距离拉萨150英里外的一个劳改营里。

导演诺尔曼找到了一名当时被抓获的藏民,现年16岁的杰阳萨藤(Jamyang Samten)。杰阳萨藤讲述了遭受酷刑的可怕经历。卫兵把他绑在墙上,用带有牲畜刺针的电棍电击他,用带有金属手套的手打他的胃部。在审讯时,他稍一出错就会被人用铁条打,而且打他的人使尽全身力气。他和其他人被锁在屋子里,胳膊和腿都带着镣铐,电击使他们几乎都不能说话了。

杰阳萨藤后来被释放了,他付给一个向导3千块人民币,终于逃到了尼泊尔。

藏民妇女被强制绝育

拍摄过程中,导演诺尔曼还发现,藏民妇女尽管应该不受中共计划生育政策的限制,但是她们仍然被强制绝育。中共采取各种措施防止藏族妇女生育,其中包括监视她们的生理周期、强制流产和绝育。

一名藏民妇女讲述了自己的经历,她支付不起第二胎罚款(约1千元),因此在没有打麻药的情况下被作了绝育手术。她被人拖走,因为没有钱,她只得到阿司匹林用于止痛,她当时感到恶心、头晕和疼痛,而且非常害怕。有些其他妇女做了绝育手术后都无法正常行走。

还有未经证实的报导称,中共在西藏使用流动绝育病房,给西藏的农村妇女套上避孕环,这种环他们自己无法摘下来。

西藏文化遭受侵袭

导演诺尔曼还发现,整个西藏的文化都受到了摧残,新修建的水坝冲毁了村庄,农民被迫离开祖上生活的土地,因为达赖喇嘛流亡海外,喇嘛也很容易成为攻击的目标,原本是游牧部落的人被迫搬进混凝土修建的营地,没有学校、诊所或者公交车,他们的牲畜被没收。

一位生活在营地的妇女讲述,“这里的生活难以置信的艰难,人们忍饥挨饿,没有工作,没有土地,唯一填肚子的方法就是去偷,我们生活在恐怖之中。我们没有基本人权,甚至连言论自由都没有,每个人都感到沮丧,看起来很糟糕,脸色灰白,眼睛深陷,大家都不敢讲真话”。

这部记录片的导演诺尔曼(Jezza Neumann)因执导另一部反映中国计划生育问题的记录片《中国遭拐卖的儿童》(China's Stolen Children)而获得五项英国电影和电视艺术学院奖(Bafta)提名。

诺尔曼表示,西藏“到处是特务”,“有穿制服的警察和士兵,穿着西装,带着墨镜的秘密警察,还有汉人和西藏人组成的特务网,简直就像是东德的特务机构斯塔西(Stasi)。到了兄弟姐妹父母儿女之间都无法信任的地步。”

诺尔曼尤其对近日拉萨的局势担心,他表示,“我遇到的所有被逮捕的人都受到过酷刑,如果他们烧毁了商店,向官员的车扔石头或者向警察扔鞋子,只有上帝知道他们会面临什么”。

每年都有大约3千名藏人冒着生命危险穿越喜马拉雅山,逃到尼泊尔。诺尔曼此次西藏之行的向导就是一名在11年前逃离西藏的人,他现居住在英国的伦敦。

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by yaponluq | 2008-05-07 02:35 | 西藏/チベット
チベット語基本フレーズ / "Po rahng-tsen"
このほかにもチベット語学習サイトはたくさんあります

http://www.geocities.com/Athens/Academy/9594/tibet.html
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アルク:チベット語の挨拶(音声ファイル付)
http://www.alc.co.jp/kaigai/travel/aisatsu/tibet/index.html
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by yaponluq | 2008-05-03 18:50 | 西藏/チベット
2006年、中国兵がチベット人巡礼者を射殺したビデオをもう一度観る
クリック

[YouTube]
Chinese soldiers shooting at Tibetan pilgrims


西藏非法偷渡客群袭边防军 解放军被迫自卫
新华社 2006年10月12日 17:17
http://news.ifeng.com/phoenixtv/83934540116000768/20061012/903728.shtml

新华社拉萨10月12日电 
西藏自治区有关负责人向记者透露,9月30日凌晨,中国边防巡逻小组官兵在中国和尼泊尔边界中方一侧巡逻时,发现近70人欲非法偷渡到境外,依法对其劝阻,希望他们尽快返回原籍。
但他们不仅不听劝阻,反而群袭边防官兵。在此情况下,边防官兵被迫自卫,伤及2名偷渡人员,其中1人因事发地海拔6200米,高寒缺氧,自然环境极其恶劣,经抢救无效死亡。另一伤者已得到妥善救治。
据初步查明,这是一起由蛇头组织的有预谋的大规模非法偷渡案件。中国有关部门将按照中华人民共和国有关法律规定,依法处理。目前,此案正在审理中。


この記事が翻訳されています
チベットで不法密航事件 蛇頭が手引
http://www.china-news.co.jp/society/2006/10/soc06101503.htm

(中国通信=東京)
 ラサ12日発新華社電は、チベットで不法な密航事件が起こったと次のように伝えた。
 チベット自治区の関係責任者が明らかにしたところによると、9月30日未明、中国の国境警備パトロールグループの将兵は中国ネパール国境の中国側をパトロール中、70人近くが国外に不法密航しようとしているのを発見、法に基づいて制止し、早く原籍地に戻るよう求めた。しかし彼らは制止を聞かないだけでなく、国境警備の将兵を集団で襲った。このような状況下で、国境警備の将兵はやむなく自衛手段をとり、その際、2人の密航者が負傷した。うち1人は事件の場所が標高6200㍍の高冷地で、酸素が薄く、自然環境が極めて劣悪なため、応急手当てのかいなく死亡した。もう1人は適切な治療を受けている。

 これまでの取り調べによると、これは蛇頭が組織した、あらかじめ計画された大規模な不法密航事件だった。中国の関係官庁は中華人民共和国の関係法律に従い、法に基づいて処理する。目下事件は審理中である。

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中国兵は忠告も静止もしていない
集団で襲ってきたわけでもない
だから、自衛のための射殺ではありえない。

一行は尼僧に率いられた子どもたちである。蛇頭の関与は考えにくい。
ナンパラ峠は旧来よりネパールとの交易に使われているルートだ。
中国兵そのものが蛇頭のようなマフィアだ、というなら納得できる。

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Wikipediaに詳しい記事になっている
Nangpa La shootings
http://en.wikipedia.org/wiki/Nangpa_La_shootings
事件の時系列が詳細に記述されている(以下、抜粋)
October 12 - The official Chinese news agency, Xinhua, reports that soldiers were "forced to defend themselves" when people trying to cross the border attacked the soldiers (by throwing stones at them)
October 13 - MountEverest.net releases first video of the incident: "There is no excuse, China: Nangpa La VIDEO shows border guards sharpshoot refugees"


「投石による襲撃を受けたので、やむをえない、自衛のためだった」と新華社を通じての発表があった翌日にビデオが公開されたのである。はたして登山家グループは中国当局がウソをつくことを見越して、満を持してビデオを公開したのだろうか。

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[関連記事]
New images of aftermath of Nangpa pass shooting
International Campaign for Tibet
October 17th, 2006


Best of ExplorersWeb 2006: The truth of Nangpa La
MountEverestNet
Dec 31, 2006


There is no excuse, China: Nangpa La video shows border guards sharpshoot refugees
MountEverestNet
Oct 13, 2006


ネパールに逃げ込むチベットの人々
janjan
2006/10/18

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by yaponluq | 2008-04-24 00:40 | 西藏/チベット
聖火リレー妨害や不参加は、“面子の国”中国を頑なにさせるだけ
聖火リレー妨害や不参加は、“面子の国”中国を頑なにさせるだけ
http://diamond.jp/series/china_rika/10008/


わたしはこの主張に異論があるが、きょうは寝る

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by yaponluq | 2008-04-22 01:59 | 西藏/チベット