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ウイグルの民族衣装を着た中国人が聖火リレーを歓迎
奥火新疆传递 严禁维吾尔人接触境外媒体
http://www.peacehall.com/news/gb/china/2008/06/200806180808.shtml


(博讯北京时间2008年6月18日 转载)
   (中央社台北十七日电)北京日前下令,奥运圣火在新疆传递期间,当地居民如私自与境外媒体接触,将被严肃政治处理,情况严重者将被控以“泄露国家机密罪”。

世界维吾尔大会发言人迪里夏提今天说,奥运圣火在新疆传递时,只有经过政府政治和社会背景审查合格的当地居民才得以在沿路观看欢迎,但必须高喊“中国加油!”口号,考验他们的政治立场,以作为他们毕业后工作分配、就业、升职的依据。
由于届时境外媒体云集,北京担心这些维吾尔人向媒体揭露中国有系统打系和歧视维尔人的政策,因此于日前下达特别通知,“规定未经政府安排,私自接受或主动与记者谈论国家敏感问题或民族问题者,如被发现将被严肃政治处理,严重者将被控以泄露国家机密罪。”

他说中国政府此举是担心维吾尔人向境外媒体揭穿中国长期以来在国际社会制造其“和谐社会”的假象。

他说中国政府长期打击镇压维吾尔人,但却强迫维吾尔人高喊“中国加油!”这是对维吾尔人莫大的侮辱。  
迪里夏提说,原本奥运圣火将于本月二十五至二十七日在新疆传递,可是北京奥组委临时以圣火传递保安问题,突然更改奥运圣火在西藏、新疆两地的传递时间,新疆的圣火传递提前在十七日至十九日举行。

6/18/2008 12:15:06 AM _(博讯自由发稿区发稿) (博讯 boxun.com)




中国安排汉族装扮维吾尔人迎接奥运火炬
http://www.peacehall.com/news/gb/china/2008/06/200806201617.shtml


e0113320_20165727.jpg(博讯北京时间2008年6月20日 来稿)
中国政府严防维吾尔人向境外媒体揭穿中国长期以来在国际社会制造其“和谐社会”的假象,特安排汉族装扮维吾尔人迎接奥运圣火,达到继续欺骗国际社会目的.
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by yaponluq | 2008-06-28 20:28 | 东突资讯/ウイグル・ニュース
ロイター:中国のドライバーはなぜ歩行者に道を譲らないのか
路透社 中国司机为什么不避让行人?
http://www.stnn.cc/ed_china/200806/t20080626_802696.html


  以前曾有不少外国朋友跟我说,他们在中国过马路时提心吊胆的,因为司机们都不懂得礼让行人。我笑而置之,没有觉得这是一个多大的问题。这次我从美国留学回来,才深切体会到了他们的感受。

  在我上学的加州,人行道大都比车道高出几寸,路边还有花草树木隔开车辆和行人。在任何马路口,只要行人迈出一步准备过斑马线,司机们都会停下车,耐心地等他走到路的另一边,才开始前行。

  最近回到曾经生活多年的北京,突然发现开车人很少避让斑马线上的行人。在有红绿灯的路口,大多数司机虽不闯红灯,但是他们如果要转弯,就会穿斑马线而过,不管有没有行人在过马路。有天在长安街边的一个路口,一辆轿车从我身后飞驰而过,几乎贴着我的后背。

  为什么美国的司机会礼让行人,而中国的司机不呢?

  先对比一下两国的相关法律。美国的交通法规由各州政府制定。其中加州《车辆行驶法》第21950条规定:"司机在交叉路口看到行人时要特别留心,要通过减速或者其它必要方式保证行人安全,不管该路口是否有交通指示"。

  2004年制定的《中华人民和国道路交通安全法》第四十四条里写道:"(机动车)通过没有交通信号灯、交通标志、交通标线或者交通警察指挥的交叉路口时,应当减速慢行,并让行人和优先通行的车辆先行。"

  看来两国关于这个问题的法律规定并没有太大差异。那是执法方面的原因吗?我在美国很少看到有警察站在街头指挥交通,路口安装的摄像头也远比北京少。他们的执法并不比我们严格。

  那是中国司机的观念问题吗?在百度网站上,对“中国司机为什么不避让行人?”这个问题,在网民给出的几条答案中,被选为最佳答案的是:“中国国情呗。你以前见过哪个骑马的给步行的让过路。”

  潜台词似乎是:中国社会里步行的大都是一介草民,而骑马坐车的非富即贵,他们权高势大,不屑于给老百姓让路。
(作者 樊林君 美国加州伯克利大学新闻学院学生)


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中国では自動車に乗っている限り、どんなビンボー人でも、身分が高くなる。
国家主席でも、歩行者であるかぎり、自動車を優先させるために歩みを止めなければならない。
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by yaponluq | 2008-06-28 15:13 | 中国政治/中国政治
ロイター:中国が東トルキスタンでモスクを破壊する理由
オリンピック宣伝用の横断幕の掲揚を拒否、モスクは破壊された
記事にあるsignsとは中国人が大好きな赤い横断幕だろう。


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このようなニュースを見るたびに、いつも思う。
中共はわざとウイグル人を怒らせているのではないか。
カンニン袋の緒が切れて、怒りが爆発するのを待っているのではないか。 


Group says China demolishes mosque for not supporting Olympics
http://uk.reuters.com/article/worldNews/idUKPEK18996820080623?sp=true


Mon Jun 23, 2008 9:50am BST
BEIJING (Reuters) - Chinese authorities in the restive far western region of Xinjiang have demolished a mosque for refusing to put up signs in support of this August's Beijing Olympics, an exiled group said on Monday.

The mosque was in Kalpin county near Aksu city in Xinjiang's rugged southwest, the World Uyghur Congress said.

The spokesman's office of the Xinjiang government said it had no immediate comment, while telephone calls to the county government went answered.

"China is forcing mosques in East Turkistan to publicise the Beijing Olympics to get the Uighur people to support the Games (but) this has been resisted by the Uighurs," World Uyghur Congress spokesman Dilxat Raxit said in an emailed statement.

Beijing says al Qaeda is working with militants in Xinjiang to use terror to establish an independent state called East Turkistan.

Oil-rich Xinjiang is home to 8 million Turkic-speaking Uighurs, many of whom resent the growing economic and cultural influence of the Han Chinese.

Dilxat Raxit added that the mosque, which had been renovated in 1998, was accused of illegally renovating the structure, carrying out illegal religious activities and illegally storing copies of the Muslim holy book the Koran.

"All the Korans in the mosque have been seized by the government and dozens of people detained," he said. "The detained Uighurs have been tortured."

The Olympic torch relay passed through Xinjiang last week under tight security, with all but carefully vetted residents banned from watching on the streets and tight controls over foreign media covering the event.

(Reporting by Ben Blanchard; Editing by Nick Macfie)

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by yaponluq | 2008-06-25 00:37 | 东突资讯/ウイグル・ニュース
イランでの誘拐事件 / 平和の裏にある危険
イラクで拘束された高遠さん御一行はイラクに行くべきではなかった。
少なくともボランティアの高遠さんと夏休みの自由研究の今井君は行くべきでななかった。
郡山さんは職業人なので、シロウトの女・子供をおいて一人で行くべきであった。日本はイラク戦争にコミットしている以上、日本人の視点で日本語で戦争を報道する日本人が必要である。誰かが行かなければならない。郡山さんの場合、安全対策がシロウトっぽかったけど。
わたしがイスタンブールで会った旅行者は空爆寸前のイラクを旅行中、バグダッドで高遠さんにお説教されたという。「このように危険な時期に物見遊山で来るべきではない。事故があったらわたしのようなボランティアの活動の妨げになるから帰りなさい」と言われたらしい。

今回の中村聡志さんがイランのバムに行くべきではなかったか否かは問題にしない。

いくつかのブログを見たら、「中村さんは危険なところに勝手に行ったんだから自己責任」という方が多いことに気がついた。救出費用や役人の出張費を税金でまかなうのは納得がいかない、ということらしい。もちろん生還を無条件に歓迎する論調も目立つ。
中村さんが誘拐されたと思われるバム周辺は当時、外務省が言うところの、「渡航の是非を検討」すべき地域であった。誘拐される可能性があるのにどうして「絶対に渡航するな」と言わないのだろう。渡航を禁止しなかった外務省に落ち度はなかったのだろうか。笹川堯さんが「費用を請求したら」と発言したらしいけれども、だったらどうしてはじめから「絶対に渡航するな、誘拐されたら救出費用は自己負担です」と言わないのだろう。なにをもって中村さんの非とするのか。なにを根拠に救出費用を請求するのか、この点が明確ではない。
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たとえば、ある旅行者がバムに行きたいと思っていたのに、そこは「渡航の是非を検討してください」と言われている地域だった。
中村さんが行ったときバムのアルゲ・バム遺跡は地震で崩壊していたはずだが、それでも見たいと思ったのか否かは知らない。遺跡はともかく通りがかりに立ち寄っただけかもしれない。
たとえばある旅行者はテヘランを経て、マシュハドやイスファハーンを見た。イランの文化財は素晴らしい。治安だってよかった。ぜひバムの遺跡も見たいと思うのは自然なことである。
じゃあ、旅行者はどうするか?
近くまで行ってみて、たとえばイスファハーンで、バムから帰ってきた別の旅行者に訊くのである。わたしもそうした。そうやって現地の情報を入手しながら移動している旅行者は多い。「バムに行こうと思うんだけど、危なくなかった?」と訊く。実際のバムはのんびりしたところで、危険な空気は微塵も感じられない。行った人なら「問題なかったよ」と答えるはずである。行ったヒトに訊く。そうやって「渡航の是非を検討」するのだ。もとより、「問題あった!誘拐されちゃったよ!」という人とは情報交換できない。
バムに程近いケルマンの宿でのこと。警察がヘロインでラリっている男を連行して行った。イランではアフガニスタンから持ち込まれる麻薬が社会問題になっている。ヘロインがどんな麻薬かは知らないが、男は床にへたばって、動けなくなっていた。中村聡志さんを誘拐した麻薬密売組織も街のどこかに存在していたかもしれないが、当時そんなことは気にかけなかった。気にかけたとしても、自分が誘拐されるとは思いもよらないだろう。
ここで外務省と旅行者のあいだに情報と意識の格差があることに気がつく。わたしはいま気がついた。旅行者は外務省が判断材料として提供している過去数例あった誘拐事件と、「問題なかった」という他人の無責任な印象を比較検討する。
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こんなことがあった。エルサレムのホステルでのこと。そこはパレスチナで活動するNGOが定宿としている。ある日本人旅行者がヘブロンから帰ってきた。(たしかヘブロンだった。ナブルスかもしれないけど)。彼はNGOではなく「物見遊山」の旅行者だ。ほかの日本人が「危なくなかったんですか?」と聞く。物見遊山の彼は「ぜんぜん平和だったよ」と得意気だ。ヘブロンにはパレスチナ難民のキャンプがあって、事あるごとにイスラエル軍の戦車が出動する。ホントーはぜんぜん平和ではない街だ。報道写真で見るように、ときにはキャンプが破壊される。NGO参加者たちはそんな破壊活動を未然に防ぐために監視やレポートをする。トレーニングを受けたうえで、パレスチナ各地に派遣される。
ヘブロンで活動していたNGOの一団がホステルに帰ってきた。緊張が安堵に変わってきたのを見はからって訊いてみた。いわく「イスラエル軍の戦車とパレスチナ人のにらみ合いがあった」とのこと。物見遊山の彼とまったくおなじ時期におなじ街にいたが、一方は戦車の出動を目の当たりにし、一方は「平和だった」と言う。一方は報道で見た危険が存在すると確認して帰ってきた。一方は見ていないものは存在していないかのようである。

東京を旅行したインド人が帰国してから友人に訊かれた。
「東京って危なくないの?」
当然、「超安全だったよ」と答えるはずである。
だって彼は地下鉄サリン事件も秋葉原通り魔事件も見ていないんだから!

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長々と書いているうちに収集がつかず、つまらぬオチでお茶を濁してしまった。
まったく筋の通らない文章だ。ごめんなさい。

バグダッドといえば…
「人生は、奇跡の詩」というロベルト・ベニーニの映画は最高です。
http://www.movie-eye.com/jinsei/
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by yaponluq | 2008-06-18 01:13 | 転載じゃない
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所:ラサのチベット人青年による証言
ラサのチベット人青年による証言
http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080519_lhasa.html

2008年5月19日 チベット人権民主センター(TCHRD)
 2008年3月のラサ騒乱直後の混乱時に逮捕されたチベット人青年による証言をチベット人権民主センター(TCHRD) が入手した。想像を絶する拷問の様子、廊下に苦痛の叫びが響く中、監禁された人々から次々に聞かされる凄惨極める話。この、詳細にわたる数少ない証言の中で青年は、収容所内での監禁生活の様子を語り真情を吐露している。再生された以下の文章は第三者によって書き取られたものを、青年の身元が明かされないよう TCHRD が編集したものである。(*)は記載を控えた部分。[ ]内は追加された詳細、説明、コメントである。

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3月(*)日、100人ほどの兵士が私の家に乱入してきた。5つのドアを壊しあらゆる物を物色した。投げ捨てられた物が床に散乱した。彼らはそこに居合わせた人間を誰彼構わず殴った。不法侵入を受け、その上強盗に遭ったようだった。彼らは小銃を携えていて、とても乱暴だった。私は逮捕され両手の親指を後ろ手に固く縛られて連行された。余りひどくきつく縛られたせいで未だに周囲が麻痺している。頭を何度も殴られ、殺されるのかと思った。骨が折れても不思議はないくらい殴られた。しかし彼らは私を殺さず収容所に連行した。それから4日間、投獄されただけで尋問は一切なかった。一日に与えられた食べ物は蒸した饅頭半分のみ。本当にわずかな食物だった。投獄されていた誰もが水を欲しがり、多くの者が自分の小水で渇きをしのいでいた。[拘留者には水が与えられていなかった。]衣類も毛布も、寝具も何もなかった。[コンクリートの床があるだけだった。]とても寒かった。4日間、彼らは我々をそこに放置したまま、話しかけてもこなかった。

昼間は静かだった‥‥ラサの街は昼は何事もなかった。夜11時から[明け方の]5時、6時にかけて何千という人が逮捕された。投獄された部屋で、4、5日してから白湯と蒸した饅頭二個を与えられた。その部屋には(*)人が監禁されていた。本当にひどかった‥‥ひどい話しをたくさん聞いた。腕や足の骨を折られたり発砲され負傷したものが大勢いた。誰も病院には連れて行ってもらえなかった。みんなそこに放置されたままだった。まったく恐ろしい光景だ。21世紀に生きているとはとても思えない。銃で4回も撃たれた少年がいた。傷が一ヶ所はここに[左肩後方から左胸心臓近くまで貫通]、もう一ヶ所はここからここまで[左肘内側から手首にかけて]それからここにも[右上腕に横の傷]。肋骨を折られた人もいた。一人の男性は[右の]目を殴られて内出血して顔が腫れ上がっていた。とにかくひどいんだ‥‥歯を折られたり‥‥ほかにもいろいろだ。本当に恐ろしい目にあったんだ。

食べ物がなかったのは辛かった。ひどい空腹のために人がばたばた倒れた。少年が一人トイレに倒れ込んだ‥トイレも部屋の中にあった‥何もかも同じ部屋の中にあるんだ‥その少年はトイレで顔を打ちあごを切った[あごのラインに沿って横一文字に]。精神的に参っている人たちも大勢いた。初めに倒れたのはそういう人たちだ。ツェタン出身の少年は心の病をもっていて‥とても痩せた子だ‥初めのうち日に2、3度気を失って倒れたがそのまま放っておかれた。

ラサには19の収容所がある。一番ひどいのはゴンシェ収容所だ。ラサの収容所で一番大きいのが タプチェ。チュシュル 県にも一つあるがその二つには誰も収容されていない。外部の人間にはそこを見せるんだ。見せて誰も囚われてはいないと言うんだ。駅に普通収容所はないが、駅の大きな建物を借りてそこを収容所代わりに使っている。その建物と トゥルン・デチェン 県、あとは ゴンシェだ。その三ヶ所に人々は監禁されている。夜になると大型バスで兵士がやってくる。そしてそこから100~150人が トゥルン に移送される。兵士は口々に「家に帰る時間だ。何も悪いことをしていないのだから家に帰るんだ。」と言いながら、人々をバスに乗せトゥルンか駅の収容所に連れて行った。連行された者たちは秩序なくばらばらに混ぜられ、別の収容所へと移送された。私は直接見たわけではないが、トゥルン では数人の僧侶の頭に布袋が被されていたと友人らが言っていた。僧侶たちはどこかに連行されたまま戻ってはこなかった。殺されてしまったのかもしれない。

私が会った65歳の男性は肋骨を2本折られていて上半身が曲がった状態でうずくまっていた[体を曲げてみせた]。まっすぐに出来ないんだ。瀕死の状態だった。公安官が彼を人民病院に連れて行ったが、あそこでは毎日、公安に暴力を振るわれた人が一人二人と死んでいくんだ。病院に連れて行かれるのは銃弾を受けたか殴られたかした人たちで、大抵そこで死ぬことになる。(*)から来たある姉弟は、ある日突然寝ているところを兵士たちに襲われた。兵士はまるで物みたいに彼らを窓から建物の外へ放り投げたんだ。弟の方は即死だった。そうだよ、建物の外に投げ落としたんだ。それでも姉は死ななかった。横たわる彼女に兵士らは座ることを強要した。弟の遺体はどこかに移され、姉はこの出来事を口外するなと命令された‥これらはほんの一例で、こんな話しがいっぱいあるんだ。

何もしていない人たちも尋問を受けた。何もしていなくてもチベット人であるというだけで有罪になった。チベットにはたくさんの県があるが各地から人々の安否を気遣って公安に問い合わせがあった。彼らが見せられたのはラサ以外のいろいろな場所‥空の拘置所など都合のいい場所だけだ。(*)寺の僧侶たち、家族や友人、未だに居所のわからない者が大勢いる。

ラサには兵士はいないと言われているがあれは嘘だ。みんな民間人を装っていてチベット人を監視しているんだ。

私はチベットで今何が起きているかを話したい。みんなに知ってもらわなければ‥自分は何をされても構わない。でも家族は無事でいて欲しい。何も悪いことはしていないんだ。

『仲間が密告したために、お前はここに連れてこられたのだ』と収容所の監視人に言われた。私にも(*)寺に友人がいるが死んでも仲間を売ったりはしない。

真新しいジャケットを身につけたダデシェ [おそらく康定県]出身の男性がいたが、彼はジャケットを剥ぎ取られて殴り殺された。このジャケットは盗んだに違いない、と言われて。そうなんだ、新品のジャケットを着ていたために彼は殺されたんだ。

Sauko の高校生も大勢いた。17歳の学生は[3月]14日の抗議行動には参加していなかったが拷問を受けた。彼は服を脱がされ手を縛られて荷車で轢かれた。ありとあらゆる拷問がある。後で彼が言っていたが、やってもいないことを強制的に自白させられたらしい。多くの人がそうやって嘘の自白を強要されるんだ。収容所で死んだ人を目にすることは無かったが、『死人が出た』と公安や兵士を呼ぶ声を毎日聞いた。ゴンシェには9棟の建物がありそれぞれに11の部屋があった。一部屋に20~30人が監禁されていた。ある日、『何人位のチベット人が逮捕されたか』という問いに対して、ある中国人が、一万人弱だろうと答えるのを聞いた。しかも そこにはデプン、セラ、ラモチェ、ジョカンからの人たちは含まれていないらしかった。我々が釈放されると、彼らは僧侶たちを逮捕した。収容所を出てから聞いたのだが、デプン寺で多くの逮捕者が出たらしい。私は4月(*)日に釈放された。

釈放前にラモチェの僧侶に会った。僧侶たちのことは本当に心配だ。兵士らの僧侶の扱いは格段にひどい。デルゲ県の僧侶は指が湾曲していたうえ、片目が完全に失明していた。我々なんかよりももっとひどい拷問を受けたんだ。本当にどうして僧侶たちにあんなひどい仕打ちをするのかわからない。ひどすぎる。

同じ収容所にいた(*)からの少年の話しでは、ラサのラモチェの近くに住む彼の友人二人は、銃撃に遭い負傷したそうだ。一人は21歳の青年‥‥名前は忘れてしまったが‥‥彼は尼僧院に運ばれたがそこで亡くなった。もう一人は20歳の青年で病院に収容されている。彼ももつかはわからない。ガンス通りで撃たれたらし い。

ラサ近郊の アニシム(Anishim) から来た少年の友人二人も銃弾を受け亡くなっている。二人は兄弟で、どちらかが18歳。ペンポの出身だ。ゴンシェの収容所にはペンポ出身者が大勢いた。

昼間は本当に静かなんだ。何もかもが夜に起こった。すべてが内密に進められた。デプンやセラ、そして例の駅とは電話は通じなくなっている。駅にはたまに繋がることがあるが、それも稀で、基本的に誰も連絡がとれない状態だ。

インドにいる親類に、インターネットを使って私が見聞きしたことを知らせようと思った。ワードを使って何行か書き、セーブしたところで突然書いたもの全てが消えてしまったんだ。とても怖かった。海外に大勢友人がいてメールを送ってくれても、それを開くことができなくなっている。

中国当局は、外見上何事もないように装ってはいるが、現実は極めて悲惨だ。彼らは事を荒立てておいてそれを我々の仕業に仕立て上げようとしている。ラモチェでは抗議行動が起こらなかったにもかかわらず寺という寺が何千という人民軍の兵に包囲され、軍の車が監獄のように門を閉鎖した。もうこれ以上我慢は出来ない。人は寛容であるべきだが、これ以上寛容にはなれない。我々に人権はない。ここにあるのは文化的ジェノサイドだ。‥‥それは大きな図だ。もっと細部をみてみよう。例えばラサの街。一体何人のチベット人が北京路や ゲンシュ路のような大通りで商売をしているだろう?チベットのラサなんだ。中国の話しじゃないんだ。チベット人には生きていく資格もないのか?大都市で教育を受けた中国人たちは我々より有能だろう。経験もあれば資金もある。それに比べてチベット人は地方出身だ。農民だったり遊牧民だったり。お金だってない。そういう人間がどうやってラサで商売をやっていけるだろう?中国人が道のあちら側で商売をするなら、なぜこちら側で商いをさせてもらえないのだ?バランスがとれるというものではないか。能力も教養もあるチベット人だって大勢いるのに起業する資金がないのだ。裕福なチベット人は北京や上海にしかいない。しかもそれもごくわずかだ。

私はチベットでチベット人がどのように生き、そしてまた中国人がどのように生きているかを見て知っている。チベット人が優遇される必要はない。しかし調和が必要だ。

中国政府から年金をもらって生活している老いたチベット人がテレビで同じチベット人の悪口を言わされているが、おかしくて笑ってしまう。海外にはチベット人の人権のために闘っている人たちが大勢いる。とても心強いことだ。私は家でもっといろいろと学びたいと思っているのにそれが出来ないのがとても悔しい。テレビで流れるのは嘘ばかりだ。本当に胸が痛む[胸を指差す]。

通りを歩いていると兵士がやってきて身分証明の提示を求める。『どこの出身だ?』と聞かれて少しでも間違えればもうおしまいだ。写真と顔を照らし合わされる。中国人なら[証明証なしで]パスなのに。

以前は最高の場所だったのに、今では牢獄のようだ。ラサがこんなふうになってしまうなんて。収容所に監禁されていた時、チベット人の公安官が親指を後ろ手に縛られている私に『ここに跪け』と命じた。その男は私の前[の椅子]に座ると私の頭を足で押さえつけ、額を蹴った。それから頭を後ろに反らせると顔を何度も何度も殴った。男の顔を見たがとても悲しかったよ。彼はそれでもチベット人なんだ。それ以来、その男を何度も見かけている。何人もの中国人やチベット人が私に馬乗りになって殴ったり蹴ったりの乱暴をはたらいたが、顔を見られたくないから人の顔をねじ曲げながらそういうことをするんだ。人の目を見ながら面と向かってひどい仕打ちをする‥‥こんなひどいことはない。

これは私にとって経験だ。学ぶことはたくさんある。監禁されている時に何度か食べ物の夢を見て、家の食事のことを思い出した。母と姉の作る食事。匂いまで思い出した。その時家の食事のおいしさを本当にありがたいと思った。食事を終えて『まあまあだったね』なんてよく言っていたけれど本当はとてもとてもおいしかったんだ。こんなに残酷で悲惨な経験をしたことはなかったけれど、それでもそこから学ぶことはある。よりよい人間になることができる。たまに(*)の子どもたちが学校の勉強をさぼっていたりすると怒鳴ったり叩いたりしたのだが、今では声を荒げるだけで心が痛む。いろいろ学んだんだ。

チベット人がどんどん減っていくのがとても心配だ。多くの人たちが命を落とし、そうでなければ手足を折られて不自由な体にさせられている。ひどいことだ。私がそうだったように逮捕され監禁されている人たちもいる。収容所に監禁されている人たちのことは決して頭から離れない。あのひどい状況‥‥わずか16、17歳の若者が始終泣き叫んでいるんだ。悲惨だ。手足を折られた人たち、銃弾で傷ついた人々‥‥彼らの青白い顔‥‥悲しみで胸が張り裂けそうだ。

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by yaponluq | 2008-06-17 01:07 | 西藏/チベット
チベット独立を支持する西洋人に対抗するためのツール
e0113320_2346176.gif最近話題になったAnti-CNN.comの掲示板より
中国の正当性を証明するための資料をならべている。
残念なことに、URLを見てわかるように.cnが多い。
xinhuanetとかpeopledailyから引用されても…

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http://www.anti-cnn.com/forum/cn/thread-18744-1-6.html
对付西方藏独的工具

Article rebuts Dalai's hypocrisy on giving up 'independence' commitment
http://news.xinhuanet.com/english/2008-04/02/content_7906052.htm

The Dalai Lama—what Richard Gere won’t tell you
http://www.bestcyrano.org/cyrano/?p=507

西藏日記
http://www.youtube.com/profile_videos?user=guihw

Tibet: The Truth (A Political History) 下载地址
http://www.megaupload.com/?d=D0NFT4QI
http://www.sendspace.com/file/icmeed

Tibet-It's Ownership and Human Rights Situation
http://www.fmprc.gov.cn/ce/cegv/eng/bjzl/t169780.htm
http://news.xinhuanet.com/employ ... /content_633181.htm

Tibet today
http://english.peopledaily.com.cn/zhuanti/Zhuanti_95.html

Freedom of religious belief in Tibet
http://www.tibet.cn/english/zt/religion/200402004519145138.htm

Economic development benefits all in Tibet, specialist says
http://english.peopledaily.com.cn/90001/90776/90785/6381303.html

China's Tibet Facts and Figures 2002
http://www.china.org.cn/english/tibet-english/rkmz.htm

Tibetan Population in China: Myths and Facts Re-examined
这是一篇以西藏历史人口为基础的学术论文,证明了西藏自60年代以来的人口增长。 文张比较长
pdf 的格式
http://www.case.edu/affil/tibet/ ... lation.in.china.pdf

以后就用这些对付外国被ZD洗脑的人
(以降はこれらの資料を使ってチベット独立分子に洗脳された外国人に対処してくれ)

谁还有材料跟贴
最好是英文 外国人写的最好
(資料を持っている人は書き込んでくれ、英文の、外国人が書いたものがいいだろう)

大家多多转载
(みんな転載しまくれ) 


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Michael Parenti 所写的《西藏之谜》
http://www.michaelparenti.org/Tibet.html

一个见过dl演讲的游客 在他的旅行日记中记到 dl曾说英国女王的妈妈是个婊子
(dlはDalai Lama)
he(Dalai) implied that the Queen Mother was a slut.
http://www.raphaelk.co.uk/web%20pics/South%20Africa/South_Africa.htm

dl集团的"藏独"本质
http://www.youtube.com/view_play_list?p=D149DDD8888C79D1

透过历史看西藏
http://www.youtube.com/view_play_list?p=BA9B0DFFC687B745

CCTV-9 Documentaries of Lhasa riots and history of Tibet
http://www.youtube.com/view_play_list?p=04B4CDD6C20EA640

李敖有话说 - 西藏问题
http://www.youtube.com/view_play_list?p=4343AFA1FE68AA2F

dl去参加一个叫 CII 的商业会议平时说惯了嘴 竟然说
I thank the CIA for inviting me!"
Surprise! Dalai Lama steals the show from business bigwigs
http://www.rediff.com/business/1999/jan/08cii1.htm

CIA Postpones Release of Papers
http://www.fas.org/irp/news/1998/07/v000138-071798-idx.html

Poll Subject: Was the CIA Behind the Recent Troubles in Tibet?
http://bbs.chinadaily.com.cn/viewthread.php?tid=598718

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by yaponluq | 2008-06-16 00:28 | 西藏资料/チベット・資料
梁文道:チベット問題を解決するための最大公約数
為西藏問題尋找最大公約數----期待民族的和解
http://duting.blshe.com/post/3272/184561


文:梁文道



 2006年,達賴喇嘛在印度舉行時輪金剛灌頂法會,他在會上批評當今藏人喜好皮草的虛華作風不僅庸俗,而且有違佛教義理。幾天之後,西藏各地就有人紛紛公開焚燒價格高昂的豹皮外衣狐狸帽子。當地官員大為震怒,認為這是以「達賴喇嘛為首的藏獨分子的精心運作」,然後下令藏人要重新穿上皮衣,因為它們證明了黨的德政使大家過上了好日子,甚至以穿不穿戴皮草來檢證大家的「政治覺悟」(關於這次事件的詳情,可以參見西藏作家唯色的《看不見的西藏》)。

這樁近乎鬧劇的事件可以說明兩個問題:一是北京為何在國際民間外交的戰場上佔不去達蘭薩拉的上風,二是流亡在外的達賴喇嘛為什麼在藏人心目中仍然享有如此巨大的影響力。

先談第一點。現在恐怕沒有任何一個國家膽敢得罪中國,承認西藏流亡政府的地位。但是在民間社會的層面上,情形就完全不同了。對大部分西方人而言,達賴喇嘛甚至可能是位比現任教宗本篤十六世還要受歡迎的宗教領袖。達賴喇嘛極少談及本篤十六世關心的墮胎和「性氾濫」等很容易被人批為保守的議題,他的主題一直是 和平、寬容、理解和慈悲,所以就算不能贏得所有人的支持,至少也沒有多少人會對他有惡感。

為什麼每次西藏出事,每次有藏獨的集會遊行,我們都會看見一大群演員、名流、作家和知識分子站出來支持他們?相反地,支持中國政府的「國際友人」這時都到 哪裏去了呢?對很多人來說,達賴喇嘛代表了一套美善而完整的價值觀,他對西藏的種種訴求則符合了當今人權觀念的整個論述。再赤裸點說,大家會覺得聲援達賴 喇嘛是為了「義」,給中國面子反對分裂則是為了「利」。

再也沒有比06年「皮草事件」更好的例子了。達賴喇嘛的主張不只出自慈悲,更與流行的動物權益運動若合符節,國際進步青年聞之莫不稱善。反過來看,西藏地方官員竟然為了抵制達賴喇嘛的影響,不惜違反世界潮流和保護野生動物的國家方針,要求藏民重新披上動物的皮毛。其間高下實不可以道里計。



比起這點,第二個問題或許更令北京憂心。達賴喇嘛人在印度50年,其一言一行在藏區竟然還有如斯巨大的影響力,原因究竟何在?近日的藏區紛亂,官方一直強調是「達賴集團」在幕後精心策劃出來的,我以為這個說法必須好好分析。首先,所謂「達賴集團」指的其實不一定是達賴本人。凡對西藏問題略有所知者,都知道「西藏青年大會」才是流亡西藏人中的激進派,他們的勢力龐大網絡周全,雖然奉達賴喇嘛為尊,但也公開批評過達賴的非暴力主張,二者潛存矛盾。我們目前雖然沒有足夠資訊研判內情,但最近的事件卻不一定就是達賴本人指揮 煽動。反過來看,達賴那番若藏人暴力活動持續他就要退位的聲明,則有可能是對「西藏青年大會」等激進派的反制施壓。

然而,不管有沒有人策動藏人上街,也不管策動者是誰,中國政府首先該問的是何以它在過去數十年來投入了大量的人力財力,使西藏年均GDP每年皆有超過10%的增長,竟還有許多藏人深懷怨憤,隨時就能人手一面「雪山獅子旗」呢?以我個人所見,這甚至是不少漢族知識分子都感到難以理解的,他們有的相信官方主流論述,認為共產黨把藏人從神權統治下的農奴制解放了出來;有的則覺得漢地各省長期以來勒緊自己的褲帶對西藏施行慷慨的「對口援助」,藏民 卻毫不領情,一翻臉就不認人,甚是奇怪。

说起來,西藏問題真是一團迷霧,只要你朝它多走一步,你就會發現原來所相信的任何一種簡單立場都能碰上理據十足的反駁。不只現在的西方媒體造假與中國傳媒監控各惹嫌
疑,歷史上的詭局謎團更是令人眼花撩亂。如果你認為「自古以來」,西藏就是中國的一部分;你將會發現要花很多時間去解釋古代宗主國對藩屬的關係為什麼等同於現代民族國家和它的轄下省份(越南反而確曾是中華王朝的一省)。反過來說,如果你相信在「中國入侵」之前,西藏是片連丁點暴力都不可能發生的和平淨土;那麼你又該如何理解14任達賴喇嘛裏頭只有3位順利活到成年的事實呢?假如你覺得文革對西藏的破壞是不可饒恕的,你或許應該知道當年打砸佛寺佛像的主力之一竟然是藏人。假如你認為中央對西藏的宗教自由已經足夠寬容,甚至准許流亡在外的眾多上師返鄉建寺(最有名的當屬頂果欽哲法王);你可能也曉得現在的西藏小學生是連隨身護符也不准帶的。

關於西藏的歷史,北京和達蘭薩拉各有一套說法。前者強調老西藏是塊大部分人充當農奴的黑暗土地,是共產黨一手把它帶進了光明的現代社會。後者則將西藏描繪為一個牧歌般的和平桃源,沒有爭戰只有靈性,是無神論的共產黨摧毁了這一切。

平心而論,兩者都各有偏頗,不足為信。西藏確曾是個農奴社會,1951年前,光是三大領主經營的莊園竟然就佔了全藏可耕地的62%,其中又有37%為寺院所有。大部分平民都要在耕作之餘替領主服終身勞役。不過這些農奴的實况遠非中文裏的「奴」字所能概括,雖然身分是「奴」,但他們的物質生活卻不一定很差,所以在「劃成分」時才會出現了「富裕農奴」這麼古怪的類別。西藏確實也是個佛國,出家人所佔的人口比例舉世罕見。只不過和任何俗世社會一樣,以前的西藏也少不了各種勾心鬥角、貪污暴政甚至高層僧侶間的政治暗殺,與完美的世外桃源相去甚遠(詳見王力雄《天葬》、Melvyn Goldstein 的經典巨著《A History ofModern Tibet 1913-1951》(中譯《喇嘛王國的覆滅》) 及《The Snow Lion and the Dragon: China,Tibet and the Dalai Lama》)。



在這種種互相衝突的證據和理論之上,任何一方要是堅持自己的認知來決定行動方向,其實都是在玩一場後果難斷的賭局。為什麼明明有那麼多線索顯示與達賴喇嘛 漸行漸遠的「西藏青年大會」才是騷亂主謀,中央政府仍然堅持要把達賴拉下水呢?為什麼中央不肯聽陳思這些獨立學者的意見,趁並不堅持獨立而且態度溫和的達 賴喇嘛圓寂前與他對話呢?

這就是中國政府的賭局了。大家都曉得,就算達賴在海外轉世,一個幼年的靈童也起不了什麼作用。近日,十七世大寶法王將要接下藏人精神領袖位置的傳聞甚囂塵上,證據之一是他剛剛才公開向藏傳佛教各派上師致以由「利美運動」留下來的請安禱文,大有團結各派的意思。可是,即便尊貴如他,恐怕也代替不了達賴喇嘛在藏民與世界各地支持者心目中的地位。沒錯,達賴一走,中國就會少掉一個難以應付的對手,但是激進的「藏青會」豈不也是會趁勢崛起?各種極端的主張和暴力的 手段豈不將如脫韁野馬般地蜂擁四起?

然而,對中國政府而言,這或許也是正中下懷的好事,因為整個海外西藏流亡政府運動將會名正言順地轉變成人人得而誅之的恐怖分子,昔日的和平宗教色彩將因此一掃而空。有人可能會擔憂那些恐怖活動帶來的破壞和犧牲,不過,沒有風險又怎能叫做賭局呢?更詭異的是流亡西藏運動一旦走上了暴力路線,本來隱匿的所謂 「外國勢力」也會變得非常尷尬,他們願不願意直接敵對中國,支持一個公開放棄非暴力主義的組織呢?可見中國政府鷹派對待達賴的拖延手法其實不是外間所以為的愚蠢盲目,反而是相當聰明的。最大的問題只是中國要付出多大的代價呢?大家是否都做好了長期武裝抗爭和剛性鎮壓的準備呢?所有平民百姓知不知道以後的日子可能要在惶恐中度過呢?因為除了「疆獨」,日後或許會多出一批前所未見的劫機犯。

就算中國政府預備好了硬性的手段,面對藏人普遍的忿恨不滿;它既不可能把他們統統都蒸發掉,也不可能成功地按照自己幾十年來的邏輯,將「極少數的藏獨分子」和「絕大多數的愛國藏胞」完全分隔。另一方面,即便流亡海外的西藏獨立運動真的完成了最不可能的夢想,爭得西藏獨立;他們也不得不面對西藏境內早已住上了許多漢人和回民的現實,難道你能強迫他們全部離開嗎?更不用提四川、甘肅、青海、內蒙古等地藏區多民族混合的局面了。所以,無論你抱持何種政治立場,你也不能不認真對待漢藏等民族間日後相處的問題。於是在徹底壓抑西藏主體性與完全獨立這兩個各走極端的方向之間,我們至少就可以找到一個最起碼的共通點, 最大的公約數了,那就是真正的民族和解。



然而中國政府處理西藏問題的大方向卻簡單得出奇,那就是把一切責任都往達賴喇嘛身上推。其目的無非就是要在達賴在世的時候把他塑造成最大對手,以後就更能 充分地矮化或許會成為暴力組織的其他激進派系了。於是各級官員才會把話說得一個比一個還狠,例如公安部長孟建柱上周入藏視察時就曾放言「達賴不配做一個佛教徒」。從戰術邏輯看來,這番話是有的放矢;但是聽在藏人和藏傳佛教徒耳中,它無異於對著一群天主教徒指斥教宗不配當天主教徒,你猜他們會做何感想呢?要知道許多藏人在家私藏達賴玉照早已是公開的秘密;如果真心追求西藏問題的順利解決,維護國家領土的完整,政府豈能如此漠視藏人的感受,為了一時戰術上的功效犧牲全盤戰略的佈局,屢屢辱罵藏人的精神領袖呢?難道他們不知道這種做法只會迫使許多藏人更加陽奉陰違,甚至增加他們的離心嗎?

1998年,時任國家主席江澤民曾經公開對著來訪的美國總統克林頓說過這樣的話: 「我去年訪美的時候,也包括到歐洲的一些國家,我發現許多人教育水平很高,知識水平都很高,可是他們還是很相信喇嘛教的教義」。他的意思再明顯不過: 「喇嘛教」如此愚昧落後,你們這些文明開化的西方人怎麼還要信它呢?無論從任何標準來看,這都是番令人震驚的言論。一位國家元首怎能如此公開侮辱國內一支 主要少數民族的信仰呢?我們可以想像克林頓會說猶他州州民教育水平這麼高,還要相信摩門教真奇怪嗎?

如果連整個國家的領導人也是如此,其餘更是思過半矣。直到近年為止,隨便翻翻《西藏日報》,我們還會看見如下觀點: 「西藏由於受到歷史地理等諸多因素的制約,經濟、社會發展水平還相對落後,從封建農奴社會遺留下來的迷信、愚昧、非科學的東西至今還禁錮廣大農牧民群眾的思想」。令人感慨的是,除了政府和官方媒體之外,就連一些知識分子也就著最近的事件中動輒放言「藏人的民族性天真淳樸,很容易受人迷惑」。即便對西藏問 題一向開明中肯的民間學者王力雄也有他的盲點,他除了曾用「喇嘛教」這個充滿漢地佛教偏見的稱謂指稱藏傳佛教或藏人喜用的「金剛乘」之外,也不能免俗地以 簡單的環境決定論去說明藏人對宗教的渴求。



走筆至此,我們不難發現所謂西藏問題其實有一半是漢人自己的問題。從在上位者一直到民間百姓,不只對西藏的民情文化沒有起碼的認識和尊重,更對複雜纖細的 民族問題毫不敏感。進而言之,中華人民共和國雖說是多民族國家,但我們的少數民族政策卻從來都是不完整的,一是因為我們只是單向地把它看成是對少數民族做工作,卻從未反省漢人為主的主要族群該如何與其他民族共存;二是這些政策的範圍相當狹隘,沒有把民族視野恰當地貫注在其他政策之內。

且以文革遺產的清理為例。根據班禪喇嘛早在文革爆發前4年向中央委員會遞交的「七萬言意見書」: 「民改前的西藏有大、中、小寺廟2500 餘座,而民改後由政府留下來的僅只有70 多座,減少了97%多,由於大部分寺廟沒人居住,所以大經堂等神殿僧舍無人管,人為的和非人為的損害,破壞巨大,淪於已倒塌和正在倒塌的境地」。到了文革那十年,僧人被迫還俗,佛寺遭到洗劫的慘狀就更是變本加厲了。有些論者承認這種種做為對西藏造成的災害確實很巨大,但轉頭卻說不只西藏, 「那十年裏全國各地一樣受害」,言下之意是大伙過去都遭殃了,你們藏人不該老拿這些往事出來說三道四。這就是對民族問題不敏感的絕佳例子了,他們似乎完全不明白同樣是文革,對漢人而言或許是自己人鬥自己人,但到了西藏卻是你們漢人帶頭來搞我們西藏人了。所以在處理這些歷史傷痕的時候,政府應該格外小心,不能只是出錢修復廟宇,甚至還要採取比在漢地更徹地的解決方案(例如查明歷史真相和道歉),方能締造民族和解的基礎。

比起雖有魁北克問題但大體上和平的加拿大,中國其實一直沒有認真實行過多元文化的路線。首先,我們要知道所謂的「普通話」其實就是現代漢語。當許多官員誇 誇其談西藏的教育普及做得如何之好的時候,大概沒有想過對藏族青少年來講,他們正在學著掌握一種非母語,且要用它為工具和來自漢地的同齡人競逐大學的入學 機會以及政府公職,其間的差異足以造成重點大學藏人入學率偏低的情形。

假如准許用藏文考高考的想法太過不切實際,讓各地中學開設藏語和維吾爾語選修班也十分異想天開的話,我們能不能審視一下現有的教材內容呢?翻翻歷史課本,身為多民族共存的現代國家,我們念的卻還是唐宋元明的王朝世系,那你要置吐蕃王國於何地呢?番邦嗎?同樣地,農曆新年是法定假期,那麼藏曆新年呢?就算不用全國放假,漢人學子也該學點藏曆和回曆的基本紀年知識吧。

真正完整的民族政策,不可能只是保障各少數民族在自己居住地內的傳統文化和權益,更不可以只是讓他們學融入漢人定義的「中華文化」;而是要讓人口佔多數的漢人也學懂其他民族的文化傳統,平等地對待其他民族。



我在電視上看見一些青年僧人也參與了近月的事件,甚至還拿起了石塊和棍棒......他們的憤怒我只能盡量體會。現謹摘抄13世紀偉大的成就者嘉瑟.戊初.東美〈菩薩行三十七頌〉片段如下,祈願藏漢的真正和解:

「即使有人用各種難聽的話貶損我,並且在千萬個世界中到處張揚,出於慈悲,我讚美這個人的功德,乃是菩薩的修行。」

「在大型集會之中,某人用侮辱的語言揭露我隱藏的缺陷,恭敬地向他行禮,視其為法友,乃是菩薩的修行。」

「被我視如己出地來關愛的人待我為仇敵,如母親愛生病的孩子一般更加愛他,乃是菩薩的修行。」

「如果有人即將斬下我的頭,即使我沒有絲毫過錯,透過悲心的力量,擔負他所有的惡業,乃是菩薩的修行。」


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ブログ「思いつくまま」さんが日本語に翻訳しています
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by yaponluq | 2008-06-15 01:16 | 西藏/チベット
Los Angeles Times(1960): 北京がウイグル語を抹殺する
The Los Angeles Times / February. 16. 1960
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The Los Angeles Times / April. 2. 1965
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by yaponluq | 2008-06-14 01:22 | 東突厥斯坦/"新疆"ウイグル
陳思:チベット蜂起の背景
內地博客陳思:沙龙里关于西藏事件的座谈笔录

週二, 2008-03-25 21:50 — 葉寶琳
http://www.inmediahk.net/node/312630


對于這次西藏自治區和其他各省藏區的此起彼伏的示威游行和暴動,北京政府信誓旦旦地向中國民衆和全世界説有確鑿的證據顯示是“達賴集團在背後策劃和煽動”的;網上也有很多讀者評論認為,中國政府對西藏的經濟建設的支持力度已經够大了,西藏人民的生活已經發生了天翻地覆的變化,西藏人應該知足感恩了。但是大多數人不知道的是,自從1959年達賴喇嘛被迫離開西藏至印度避難以後,直至今天,每年還有男女老少數千人,背着乾糧,徒步穿越整個喜馬拉雅山脉,翻過這個世界的屋脊,繞過中國和尼泊爾的邊境防守,最後到達印度,去投奔達賴喇嘛。這其中的很多人都在穿越海拔幾千米高的雪山的過程中冷死或者餓死甚至摔死了,而西藏流亡政府的所在地達蘭沙拉的醫院裏,每個月都有新的到達者,其中就有很多是因為路途中被嚴重凍傷,而不得不做手或者脚的截除手術。中國人已經習慣了以經濟建設為綱,以為經濟上去了,建設好了,就等于一切了。中國人大多没有過宗教生活和精神生活的體驗,再加上政府對宗教的歪曲宣傳和對西藏歷史(譬如所謂的農奴制度)的刻意攥改,漢人在西藏不能理解和尊重西藏人的行為就很自然了。北京政府以為經過了這麽幾十年的宣傳和教育,受到了經濟建設的益處的藏人應該對他們感恩戴德了,而且也應該已經在他們的宣傳下,開始對“達賴集團”産生反感厭惡了。但是北京政府没有處理好的是什麽呢,經濟建設是有了,但是受益的并不是藏民,更多的是蜂擁進去的以四川人為主的漢人,在整個藏區,西藏人被徹底地邊緣化,被歧視,被排擠,無論是從經濟上還是從政治上。我在西藏各地區與很多當地人人聊天,的確有很多人認為,現在的生活水平是普遍提高了,但是社會地位却降低了。政府嚴厲禁止任何藏民藏有達賴喇嘛的任何照片和書籍,但現實情况是幾乎家家户户都私自珍藏着他的照片,哪怕只是一個小頭像挂墜。從這裏可以看出來,西藏人内心深處還是很懷念達賴喇嘛的。

整個拉薩,看起來挺繁華的縱横街道上,有着數不清的大小商鋪,百貨市場,娱樂消遣,但這些基本上都是漢人的,屬于藏人的没多少家。不但如此,基本上是漢人群體的出租車司機看到藏人都會繞着走,盡量不載或直接拒載。他們認為藏人衣着肮贜,身上有難聞的氣味。西藏人在自己的土地上,成為被歧視的少數民族和二等公民。他們心裏普遍有着嚴重的被歧視被欺負的耻辱感,這種耻辱和憤怒積累到一定的程度,就肯定要爆發出來。但藏人所希望的不是像北京所誣蔑的那様,尋求獨立呢?我所了解的情况是,大多數的西藏人首先認為自己是中國人,其次才是藏民。所以他們的内心所尋求的,并不是什麽獨立;絶大多數人也其實不清楚“獨立”意味着什麽,他們以為獨立了,就可以過自己的日子,不需要這様受歧視和羞辱了。

那麽印度那邊的情况又如何呢?達賴喇嘛1959年到到達印度後,通過幾次的國外考察之後,這個西藏最高領袖認為民主是好東西,一定要實現民主。于是乎,歷史上就出現了一次由君主强制實行的一次民主,由上至下直接實行的民主。百分之九十的西藏人不理解,并且在投票中表示反對。他們認為達賴喇嘛的權威不可替代,不能接受其他人擔任他們的領袖。但是達賴喇嘛堅持認為民主是好東西,對人民有好處,還是義無反顧地解散了舊有的噶厦政制,重新重組了議會制的内閣政府。内閣總理和各部長由全體流亡藏民投票選舉,達賴喇嘛自己不是總理或者任何實際職務,但從我的觀察來看,他還是實際上的領袖;和他們的内閣部長等接觸來看,流亡政府的各項政策,基本還是由達賴喇嘛説了算。内閣還是以實行達賴的路綫為主,流亡藏人大多數都支持達賴的和平路綫。

當然也有不支持達賴喇嘛路綫的,他們的比達賴喇嘛要激進得多,其政治訴求就是一個獨立“大藏區”。他們通過成立藏青會(西藏青年國會),舉行集會,向藏人和海外宣傳,來表達他們的獨立訴求和提高他們的影響。藏青會的成員大多數教育背景良好,基本上是學生,學者,商人,很少有普通的藏民。其領袖很多是從歐美留學回來的藏人。

早些時候,譬如説2000年之前,藏青會的成員普遍還比較年輕,他們争取獨立的方式也還是很平和。很多時候只是在支持這流亡政府做一些協助性的工作。那時候,藏青會有幾個特點.第一,他們年輕,以大學生和學者群體為主。第二,他們温和,他們也不主張暴力方式.第三,還是2001年的時候,我與他們的成員聊天,感覺他們還是很尊重達賴,只是他們説達賴太善良了,不懂得政治的醜惡。譬如説,達賴的哥哥與北京政府談判,都已經N次被北京政府耍了。他在政治上,是不是太善良了和過于理想主義?!達賴喇嘛常常在幾萬人的集會上,與藏民們説:我對與北京的談判很樂觀,估計兩三年之後就有進展。給很多藏民的感覺是,達賴喇嘛是個好的宗教領袖,是個寬厚的人,也因為如此,他把政治想得過于簡單了。後來北京談判又再次破裂,這對藏民來説,有集體羞辱的效果。達賴對藏民説,再等等吧。從七八十年代開始,他都是這様講的,都是説很樂觀,兩三年内就可以回西藏了。進入了21世紀以後,流亡藏民們已經漸漸適應了在印度和海外的流亡生活,也漸漸適應了達賴喇嘛的樂觀了。

大概是2003年的談判失敗,對藏民又是一次重大的集體羞辱,北京方面基本上也不怎麽見達賴喇嘛的的哥哥。達賴喇嘛此前在公開場合表示,希望展開談判,他們只是希望北京政府應尊重我們的宗教生活,尊重我們的風俗,其他的經濟軍事和外交等都可以有北京政府管理。但是達賴喇嘛的哥哥也没怎麽能與北京進行真正的談判,北京就一直堅稱達賴還是有獨立之心,這邊達賴喇嘛剛説完他們不想要獨立,這邊北京政府立馬公布就説達賴喇嘛没有誠意,獨立之心不死。國際社會都看得很明白,就大陸的中國人真的相信達賴喇嘛要獨立了。這様的環境下,就造成了整體的流亡藏人都有一種被羞辱的感覺,對達賴喇嘛的路綫又一次産生了懷疑。有個別的激進的藏青會分子,甚至張貼告示説要和達賴喇嘛决裂,更激進的甚至揚言説要殺死他以掃清通往獨立的大道。
説得難聽一點,達賴像個小孩,天真而且寬厚,這在政治上就南面常常被善于政治手段的北京政府所玩弄。北京政府認為達賴喇嘛現在根本没有談判的籌碼,所以只盼着他死,等他死後,西藏就没有了精神領袖了,那時候就好處理了。

達賴喇嘛也意料到了這一點,十一世班禪喇嘛的事情給他一個極大的教訓與警示。(我不知道你們知不知道活佛傳統?達賴喇嘛和班禪大師是宗喀巴大師的兩大弟子,他們誓願要生生世世守護宗喀巴大師的教法。如果達賴喇嘛先去世的話,班禪喇嘛就負責把他的靈童找出來;反之亦然。這兩個人的傳統至今已經有十幾世了。這一世的達賴喇嘛是十四世,班禪喇嘛是十一世。所以按照傳統,在第十世的班禪額爾德尼喇嘛去達之後,西藏的扎什倫布寺根據他的遺言,開始了十一世靈童的尋訪。扎什倫布寺在給北京傳遞尋訪的發展的同時,或者之前,都給印度的達賴喇嘛發去了最新進展的報告。因此,達賴喇嘛得以搶在北京之前,確認了十一世班禪喇嘛。并且在他的授意之下,進行了坐床儀式。北京聞訊大怒,接着下來的事情就是, 只有十嵗大十一世班禪連同他的父母等人突然人間蒸發,至今下落不明。我們在國外,經常會看到在宗教場所:尋找十嵗的十一世班禪。這些事情大陸中國人都不知道。曾經在新聞發布會時,有外國記者問起此事,發言人曾經回答説:你們放心好了,他們活得好好的,不希望受到外界的乾擾。這就間接説明了十一世班禪還没死。現在我們見到的班禪喇嘛,就是真正的班禪喇嘛被人間蒸發之後,由北京政府大張旗鼓地弄出來的,他前兩年一出山,就立刻發表活佛日記,説黨多麽好,恩情多深。説明黨的教育還是很成功的。如果這個十四世的達賴喇嘛死了,按傳統,十五世達賴喇嘛還會到來,那麽北京政府就有可能再次操控靈童的遴選和教育。所以,達賴宣布,十四世的達賴喇嘛可能是最後一世了,這是為了避免類似情况的發生。

那麽達賴喇嘛不再來了的話,西藏的政教領袖會落在誰在身上?我們所知道的,就是十七世的大寶法王。他早已經逃亡到印度,和自己的上師在一起,佛法和政治上已經相當成熟了。從種種迹象上來看,他肯定會是達賴喇嘛的繼承人。十七世大寶法王到印度,就是為了和自己的上師會合,接受更系統的教學。從世俗政體的觀點來看,他二十多嵗,就是内定的接班人了。他在藏族和佛學界的的威望越來越高,并且他在印度的住處也被安排在離達賴喇嘛不遠的地方。

問題就在于,達賴喇嘛的威望,在很長時間内,大寶法王是無法替代的。即使達賴喇嘛十年後才去世,大寶法王也才三十多嵗。在這種情况之下,屢遭失敗的藏青會,會在競争上越來越有技巧,越來越成熟和具有威望。達賴喇嘛是四大佛教至高無上的領袖。四大派的領袖從佛法修養上和人格道德上是忠心欽服達賴的。藏傳佛教有四大教派,達賴即是四大教派的領袖,也是政治上的領袖。按我的觀察,我判斷西藏流亡政府與流亡藏民的趨勢,達賴喇嘛死後,大寶法王會成為精神領袖,而藏青會則會迅速崛起,成為流亡政府的主流政治力量,更加暴力地對付北京政府。藏青會會通過宣傳,選舉而主導政府内閣,建立世俗的政權,他們的政策就肯定不會再是中間路綫,不會是和平的,而是脱離佛教本懷的暴力手段。主導政府之後,他們所訴求的是獨立,因此北京政府的愚昧就在於不能在達賴喇嘛有生之年,妥善處理好這個事情,非要等到藏青會漸漸從温和到暴力,從在野到當政,那時候西藏就烽烟四起,更難收拾了。

我去過西藏大學,專門了解了一下他們的學科人口比例,裏面大致有經管學院,有科學學院,有藏語言文學院。在經管與科學學院裏面,從招生的要求來説,百分之七十五以上是分配給漢人。藏民要讀西藏大學,大多數人只能去藏語言系。教歷史的話,講到西藏的過去,那就是農奴制,不能講佛法,不能講傳統。在所有的小學裏面一律教漢語,不能教西藏的文字和文化,即便有也是相當淺的層次。我在學生宿舍裏見到一些内地省份的人跑到西藏大學上學,問他們為何選擇那麽偏遠的西藏,他們説這裏讀書包分配,基本上都能進去政府機關。所以西藏的政府和企事業單位的人選和格局就這様被准備好了。商業方面,在西藏大多數的人,來自四川與浙江等地,西藏人幾乎没有立足的地方。西藏人有一些行為和我們不同,他們之中往往有些人賺了一些錢就不乾了,够用就好了。或者他們有的人挣錢到一定程度,機緣巧合,接觸到一位活佛,頓悟了人生的道理,馬上就把錢財布施出去,只剩下一些基本的生活條件。因此他們與真正的内地商人無法競争,也因此被迅速地邊緣化。

那麽西藏人所最重視的佛法信仰情况又是怎麽様的呢?2003年的時候,西方有對中國限制西藏的信仰自由的批評。北京立即反駁説此事純屬污蔑,説西藏人們有充分的信仰自由,國務院還拿出大昭寺的門口的相片,展示很多人在門口跪拜的情景。可是大昭寺本來作為西藏最高佛殿的只能已經失去了,現在是有政府找幾個僧人在那裏做一下管理,允許游客進入,但收費是很貴的,大昭寺成為西藏的政府的其中一個主要收入來源。我們去西藏旅游的人,是肯定要去大昭寺的。可是現在大昭寺僅剩軀殻,裏面没有講經説法,没有授業傳道,没有真正的高僧了。格魯派三大寺的領袖都秘密流亡到印度,所以在拉薩的三大寺的教學質量不行。藏人為了保存他們佛法傳承系統,在印度又重建了三大寺,每個寺都有成千上萬的人在那上學習。每個寺都有人在那負責募捐。

西藏很多小寺廟被焼毁。過去一些很年輕的解放軍戰士們認為,出家當和尚尼姑,不結婚是愚昧的。有些年輕的解放軍在西藏犯下了很多罪行,還有資料顯示有人拿槍逼着和尚和尼姑當衆做愛。80年的時候胡耀邦去那視察之後,實在看不下去,回到北京就將很多領袖撤走。四川色達五明佛學院,作為西藏最大的佛法傳承基地,在最興盛時期,吸引了幾萬漢藏信衆來投奔追隨,在一個山榖中,幾萬個小木屋團團圍着榖底中間的幾個小寺廟,非常壯觀。但是政府突然勒令説要兩三萬的男性信衆减到一千人,女性追隨者被要求减到四百。他們還在當地雇了流氓,據佛學院的人説,對流氓們“包吃包住包嫖”,將他們的木屋大肆拆毁,不准再運木材進去。這様的大批的人被冷死,餓死.有一些尼姑的屍體都被老鷹秃鷲吃掉。這是2002年的事。我親自到過那裏,看到被摧毁的木房。如果你是藏民,你會怎麽想,你會怎麽做?到現在為止,還没有一個國家領導人對那些在西藏的漢人們説,你要理解西藏人的生活習慣,習俗與傳統,要盡量去尊重他們。所以,偷偷地跑到印度去學習的人,有良好的教育,擅長英語,學習完畢之後不斷地回到西藏。他們不能進去政府管理系統和企事業單位,只能教英語和當導游。他們是來自西藏的千家萬户,他們有高學歷,他們在達賴喇嘛身邊待過。這種號召力和影響力是無窮的。這等於歐洲古代時期,在一個邊遠的宗教區域,突然有個年輕人從梵帝岡學習回來了那種效果。他們這群人在西藏,青海,和四川藏區發揮了很大的影響,他們是意見和言論的領袖。除了藏青會之外,還有在三大寺裏的那些喇嘛們。他們從印度學習回來,又繼續在三大寺裏教學。他們一様影響到西藏的宗教團體。

今年發生的從三月十日開始的事情,從以上的分析上看就非常自然了。再加上,三月十日是西藏的起義紀念日,再加上奥運,大家都覺得可能可以借機發泄一下,引起更多的國内外的關注吧。我堅定認為,達賴喇嘛絶不可能在背後主使和煽動此事。他認為,你要相信因果。如果因是暴力,那麽由這様的因得出來的果就絶對不可能是和平。所以他堅决反對通過任何暴力手段來達到政治目的。世界上和歷史上有很多族群已經和正在利用暴力,通過流血來取得他們的政治訴求,而達賴喇嘛却帶領着這個龐大的民族群體,不斷通過溝通與談判來促使這件事的發展,在這一點上,也是非常值得我們敬仰,值得全球人民學習的。他被授予諾貝爾和平奬也是這個原因吧。

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by yaponluq | 2008-06-08 23:33 | 西藏/チベット
王力雄の『我的西域,你的東土』より
王力雄:穆合塔尔的罪-《我的西域,你的东土》摘录
http://www.peacehall.com/news/gb/pubvp/2007/11/200711150001.shtml


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穆合塔尔从小在南疆上「民族学校」。「民族」是「少数民族」的简称。新疆有两个独特的术语,一个是「民考民」,意思是民族学生考用民族语言教学的学校;另一个是「民考汉」, 意思是民族学生考用汉语教学的学校。穆合塔尔是「民考民」。「民考民」学生汉语一般不太好。不过穆合塔尔后来到中国内地上大学,必须用汉语,因此他虽然口音重,用词不是很准,却不妨碍交流,他要表达的意思我都能明白。比如他经常说起「我的罪」,完整意思应该是「他们加给我的罪」。

穆合塔尔入狱的罪名,是他企图组织维吾尔人在北京进行一次请愿,抗议对维吾尔人的歧视。其实那不过是一个想法,口头上做过一些讨论,并没有实施,而且已经决定不做,因此即使按照不允许人民表达意见的专制法律,也不该算有罪。但我在监狱见到他时,他已经被关了一年。他在法庭上虽然坚持自己无罪,却不指望法庭真会判他无罪,顶多是希望少判一些。

穆合塔尔要进行的请愿,正是维吾尔族与汉族关系不断恶化的一种反映。历史上,两个民族的关系多数时间都不能算好,现在应该算最坏的时期之一。即使是毛泽东时代对新疆当地民族进行残酷镇压,但由于有马克思主义的意识形态,以「阶级」取代了「民族」,民族矛盾也没那么突出,甚至在很大程度上被掩盖。很多中国人都知道维族农民库尔班骑毛驴到北京感谢毛泽东的故事,也许那是宣传,但我的确听过老辈维吾尔人讲述当年的民族融洽和他们对汉人的好感。那时公共汽车上的汉人见到少数民族会主动让座,中国内地更是到处把少数民族当作欢迎对象。他们当时把汉人当成老大哥,认为汉人到新疆真是为了帮助当地民族发展。然而在最近十几年,民族关系恶化速度惊人,程度也特别严重。尤其是在年轻人中间,汉族和当地民族的隔阂越来越深。甚至在同一住宅区里,小孩子都以民族分团伙,互相之间除了打架没有其它来往。

导致民族关系恶化的,主要是当局政策,与汉人行为也有关。新疆汉人总是以统治者眼光看待当地民族,非我族类,其心必异。一九九七年新疆出过爆炸事件后,为了防止炸弹,政府曾要求在公共场所对人们携带的包进行检查。但是检查者对汉人的包只是走形式地扫一眼,对当地民族人士的包却百般细查。这种明显的民族歧视很快蔓延到整个中国,无论在哪个城市,看见新疆当地民族模样的人,警察动辄拦住盘问;新疆面孔的人拦出租车,到处都不停车;住旅馆也常遭拒绝。

我见过一位乌孜别克族的大学教授,一副学者形象,很有风度。他讲去上海出差时,火车晚点,深夜下车正赶上大雨滂沱,雷电交加。他没带雨伞,冒雨跑进车站附近一家小旅店,已是全身湿透。旅店值班的是个老太太,只因见他长着新疆人的面孔,便一口拒绝他住宿,说是按上海市政府规定,新疆人只能去一家指定的回民旅店。他当时实在按捺不住,大发雷霆,说你们上海当年来新疆几十万人,我们给你们吃和住,什么都不要,今天我到你们上海住一夜,是给钱的,你们都不让,你们上海还有没有一点良心?他从此发誓再不去上海!

中国内地城市对新疆人的歧视伤了很多新疆人的心。仅仅这种歧视就足以把很多少数民族推到汉人对立面。既然你们像防贼一样防我们,我们为什么还要在一个国家?罪犯哪里都有,怎么能因为新疆出了恐怖分子就把所有新疆本地民族都当成罪犯。汉人犯罪的更多,为什么不对汉人采取对同样的措施?西方社会有种族歧视,但要隐蔽得多,至少不敢像上海那样赤裸裸地实行种族隔离,都让那么多去过西方的中国人变成民族主义者,新疆当地民族的人为此憎恨汉人又有什么值得奇怪?

穆合塔尔想请愿,是指望政府能出面改变这种歧视,应该还是对政府抱有希望,把政府当成解决矛盾的仲裁者。如果政府能够接纳请愿,调整政策,纠正汉人对新疆当地民族的歧视,本来可以把矛盾消除在萌芽,避免民族关系出现敌对。然而,仅仅因为一个维吾尔青年想为本民族受到的不公正对待进行请愿,这个政府就把他关进监狱,而且处心积虑把他判刑。那么,维吾尔人还能用什么方法表达自己的不平呢?这个政府又还有什么权利谴责那些要用炸弹来说话的人呢?


王力雄:《我的西域,你的东土》 2007年10月由台湾大块文化出版


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この文章を日本語訳しているブログがあります

ブログ「思いつくまま」より

王力雄:ムフタルの罪
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/0ddd184081ae61fea80c6b5ead728805

ネット上に引用されていない部分も原書から翻訳されています。頭がさがります

王力雄:新疆の「パレスチナ化」
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/2390f854cb019b5f64e0aeb68dffb51d

王力雄:中共の椅子曲芸
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/1dadb0055700d4dc3e5e3fc0cf26fc0f
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by yaponluq | 2008-06-08 02:51 | 東突厥斯坦/"新疆"ウイグル