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【曹長青】新疆の“殺人犯”王楽泉
曹长青:新疆的“杀人犯”王乐泉
http://www.newcenturynews.com/Article/gd/200909/20090912011319.html
文章来源:RFA 更新时间:2009-9-12
新疆七月初曾发生一百多人死亡的流血事件。媒体最近报道说,九月初当地又有二十万人上街游行,维汉两族的对抗升高,局势更加不稳定。

七月初事件发生时,海外就有专家学者指出,新疆所以出现这么大的流血事件,主要原因是中共的殖民统治政策,造成新疆人的强烈不满。这种殖民统治,体现在政治压迫,经济歧视,以及文化和宗教上的压制。新疆人的这种反抗,只是开始。

该事件已过去两个月,从各种报道等信息可看出,新疆当局,并不是完全没有准备的,但他们防范的,只是自己的政府总部等。当时一万多维族人走上街头和平游行,很多人举着五星红旗,说明他们不是要求疆独。但这场和平游行,马上遭到警方镇压,很多人被抓。这个迅速镇压本身,就说明新疆当局事先是有“准备”的。面对和平游行被镇压,游行者去冲击新疆政府大楼,但那里更是事先有准备,人们根本冲不进去。这说明,新疆当局对维族人要游行,规模又很大等局面,事先是了解的,而且做了充分准备。但为什么新疆当局不对保护当地的汉人生命等事先做出准备?据报道,在一些汉人被攻击甚至被杀害时,当地警方不仅没有出面制止,而且有的警察就在旁边,也不加阻拦,只是看“热闹”。这就更是违背常理、常识了。这到底是怎么一回事?

最近,维族异议人士领袖热比娅在布鲁塞尔的欧洲议会就新疆问题听证后,接受记者采访时,提供了一些谜底:她说,从乌鲁木齐的维族警察那里,获得了确凿的证据,这场所谓“维族人”攻击杀害当地“汉人”事件,是中共新疆当局背后一手策划的。她说,维族警察到了公安局之后,被要求换上便衣,然后出去打汉人。这是公安局处长下的命令。

随后在乌鲁木齐出现的上万汉人手拿棍棒示威(要报复维族人),热比娅说,也是新疆当局安排的。她说,有证据证明,当时每个汉人单位安排一二十个汉族干部,给他们棍棒,出去打维族人。而且游行的汉人,不是普通人,很多是当兵的。热比娅说,“他们的棒子都是标准的、统一的,穿的衣服也都是一样的。哪有那样的汉族群众?民众都是有的高,有的低,各种样子的。但是他们却都是一样的身材,都是当兵的。一个晚上,维族人的迪斯科舞厅等都被烧毁了,许许多多当兵的干的这种事情。”

如果热比娅的这种说法属实的话,这就等于是共产党有意挑动、刺激、甚至人为制造汉人和维族人的对立和仇杀。

中共当局后来的一些做法,似乎也在印证这种指控。因为按照普通政治常识,新疆出现这么大的流血事件,任何执政当局,最基本的措施,都应该是进行安抚,避免事态扩大和升级,进行调和、疏通,稳定局面。而中共当局却反其道而行之,事发后,在北京举办了维族人杀害汉人的图片展览,那种血淋淋的场面,只能刺激更多汉族人的愤怒和仇恨,为更大的种族冲突,提供火药、汽油和干柴。

随后,就有维族人付出生命代价。据报道,知名的维族人歌唱家阿力木(Mirzat Alim),在他家附近被汉族暴徒袭击,不但打得遍体鳞伤,他的一只眼睛还被剜去了。另有还有多名维族知名人士被殴打致死或重伤,像维族书法和摄影家卡伊纳木.加帕尔,还有前《新疆法制报》的摄影记者等,都遭到袭击、毒打。这些袭击知名维族人士的人,是普通汉人,还是受当局指使的中共士兵,还不得而知。但这些视频被播放之后,更严重地刺激了当地维族人的敏感神经。据报道,在乌鲁木齐,已有五百多人,被人用针扎了。那么这些“扎”人的,到底是些什么人,在新疆当局封锁新闻的情况下,外界还是不完全清楚。但人们清楚的是,当地汉人和维族人的相互对立、厌恶,甚至仇恨,日益加深。

今天维族和汉族人的对立、仇恨,主要责任在中共新疆当局。他们面对这么严峻的局面,不是降温,而是火上浇油。最近,新疆当局要拆毁“热比娅商务大厦”就是这种“浇油”行为。热比娅原在新疆经商成功,在乌鲁木齐市中心有三栋连在一起的“商务大厦”。热比娅被当局逮捕之后,她的商业活动被迫停止,这个大厦也闲置下来。现在热比娅已流亡美国,按道理,这个大厦可以做别的商业等用途,但新疆当局却下令,强迫大厦里的住户全部迁移,要把这三栋市中心大厦完全拆毁,说这个大厦存在,是维族人支持热比娅的“象征”。这样的极端手段,只能刺激维族人的愤怒,可能导致再发生流血事件。而对这种后果,中共新疆当局摆出一副完全不在乎、毫不计后果的样子,似乎就是要制造事端,刺激维族人和汉人的对立。海外媒体报道说,目前乌鲁木齐是人心惶惶,“整个城市维汉两族民众都处在极度恐慌之中”。

面对这种局面,中共领导人胡锦涛最近去新疆视察,特意带上新疆人的维族小帽,以为这样就有助于缓和维汉关系,这真是愚蠢得不可思议。今天,胡锦涛戴什么帽子、做什么民族秀都是不管用的,唯一可能起点作用的,应该是立即摘掉那个最无能、最腐败、最残忍的新疆自治区党委书记王乐泉的“乌纱帽”。一个昏官党棍把新疆“治理”成这种地步,而且连续做了15年的一把手,共产党还不换人,还不追究点责任,那就等着下一次更大的维汉两族仇杀吧。不管谁先动手,死了多少人,责任都在王乐泉,都在胡锦涛,都在共产党!

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by yaponluq | 2009-09-12 23:11
曹長青:オリンピックの経済的・政治的収支
曹长青:北京奥运的经济和政治账
http://www.aboluowang.com/comment/data/2008/0812/article_10155.html


【阿波罗新闻网2008-08-12讯】 作者:曹长青

中共当局花倾国之力哄抬的北京奥运会,终于轰轰烈烈地召开了。这场历时两个星期的奥运会能给中国的经济和政治带来什么?在奥运开幕前一天,美国《华尔街日报》恰好发表了两篇文章,各自从经济和政治层面,对此进行了分析和预测。

谈经济的这篇,是由国际银行SCB上海分行的研究主任、英国经济学家斯蒂芬·格瑞(StephenGreen)写的,题目是“奥运的经济账”。格瑞曾任英国《经济学人》杂志的副主编,后从事银行业,派驻上海,近距离实地考察了中国经济,发表有《中国股市》、《中国市场》等专著,并常在《华尔街日报》、《经济学人》以及CNN等发表对中国经济的评论。

在这篇文章中,格瑞首先指出北京奥运的花销实在太大了,多达430亿美元,是之前五届奥林匹克运动会总开支的一点五倍!他感叹说,北京奥运只有两个星期,等于每天要花29亿美元,或者说等于每个体育项目就用掉一亿四千万美元。

格瑞说,这还不包括其他基础项目的投资,例如只是在信息技术上的投资,就高达四亿美元。而且这也不包括那些为避免污染奥运期间空气而被迫停工的中国几百个工厂的产值损失,还有在庞大的警戒、安全等方面的开销。

有人觉得不管怎样,奥运能带来游客,那些消费可以在相当程度上弥补这些开销。但这位西方金融学者认为,由于开销巨大,根本没法抵消。另外即使按原来计划,奥运期间来了50万游客,但这个数字,也只是相当于上届悉尼奥运的游客数量,并不多到哪里。而去年中国没有办奥运,也吸引了116万外国游客。对比之下,奥运的这50万,并不构成多大经济意义。

格瑞认为,北京举办奥运,在刺激经济成长上起不到多大作用。中国的通货膨胀率已达到7%,这还是官方数字,实际上比这个更高;另外,中国的股市已从它的高峰期降低了50%。这位西方经济学家预测,北京奥运的基础投资等,可能会短期刺激一下中国经济,但从长远看,它的作用是非常有限的。

《华尔街日报》的另一篇文章,是西方知名的人权组织“自由之家”的工作人员艾琳·布克(EllenBork)写的,题目是“别忘记中国的异议人士”。在这篇文章中,布克首先回顾了七十年代,很多西方人到中国访问,结果只是看到了中共当局让他们看的,基本都是刻意的共产宣传。结果想法单纯、对共产党的宣传完全缺乏认知和警惕的西方人,很多都受骗上当,真的认为中国人过着“幸福的生活”。后来美国学者霍兰德(PaulHollander)写出一本题为《(到中国)政治朝圣》(PoliticalPilgrims)的书,专门检讨和批评这些西方受骗者,指出他们被骗之后,又在西方传播这些谎言,等于帮共产党欺骗世界。

布克说,今天西方媒体对中国的报导,又让人想到七十年代。媒体上多是“中国已不是毛时代的极权统治,经济在开放;并说服很多者,这种经济发展一定会走向不可避免的自由民主制度”;甚至“都不把胡锦涛当作一个共产党的总书记,而事实上这个位置比那个国家主席的头衔更意味着权威和权力”。

这位自由之家的者说,实际上中国目前的情况,和七十年代一样,当局也是不让外国访问者看到整体的真实画面,只是让他们看到被允许看的,有时刻意制造宣传效果。布克举例说,克林顿政府时的女国务卿奥布莱克当年到中国访问,在北京“法制训练中心”拿着一张英文报纸《中国日报》微笑拍照,就是掉进了共产党的圈套,给中共提供了宣传机会。当时该报发表这张照片时,旁边文章标题是中国健全法制。但真实的情况是,共产党有绝对的权力,“党比法大”。奥布莱尔不知道的是(也许是装糊涂),英文《中国日报》是中共的宣传喉舌,主要目的是给西方人洗脑。

布克说,今天的中共当局和当年一样,还是操纵着报纸、电视,控制民众读什么、看什么;并用防火墙等现代科技控制外部信息,阻止中国人接触、浏览到海外的网站。中共不仅严酷迫害法轮功成员,逮捕民主党等民运人士,中国的监狱中至今还关押着50名网络异议人士,以及几百名政治犯。布克感叹说,连在“六四”天安门事件时抓的人,至今还有8个仍在狱中(六四已19年了!)。

这位人权专家最后说,今天的问题和七十年代一样,外国访客没有明白,他们在中国看到的,是当局允许他们看的,而那些隐藏的,他们看不到,也不知道,结果他们和当年一样,由此对中国产生了错误的印象。

庞大的开销,残酷的镇压,用民族主义、群体主义的奥运主旋律给中国民众再次洗脑;用巨额金钱买一个强化专制统治的政治效果。这就是历史将记得的北京奥运。

转自《自由亚洲电台》

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by yaponluq | 2008-08-16 01:51 | 中国社会/中国社会
「我々の目標は東トルキスタンの独立だ」
曹長青評論邦訳集  東トルキスタン独立への闘い

付録 「我々の目標は東トルキスタンの独立だ」
   ―リザ・ベキン“将軍”インタビュー―
http://toueironsetsu.web.fc2.com/QCao/ET/ETinterview.htm

(『台北時報』1999年10月11日)
 年齢73歳、身長1メートル63センチ。この一見しごく柔和な紳士が伝説の軍人とはとても思えない。朝鮮戦争にトルコ軍砲兵隊の中尉として参加し、のち中央条約機構(CENTO)の参謀総長を務め、さらにアフガニスタンではNATO軍司令官としてその任に当たった。新疆独立運動の最高指導者リザ・ベキン(Riza Bekin)氏のことである。
 彼の崇拝者は氏を“将軍”と呼ぶ。だが、氏の柔らかな物腰と雰囲気は、その白髪と黒縁の眼鏡もあいまって、軍人というよりは図書館の館長か引退した大学教授を想わせる。
 「我々の目標は東トルキスタンの独立だ。だが、我々は非暴力と平和的な手段による目標達成を主張している。」
 と、“将軍”は語る。
 氏は、東トルキスタン民族センター(the Eastern Turkestan National Center)主席である。その丁寧で柔らかな声音は、この組織の方針を反映しているかのようである。
 リザ・ベキン氏は1926年に東トルキスタン(新疆とは中国人がつけた呼称である)のコータン(Khotan, 和田)で生まれた。9歳のときに両親とともにインドへ逃れ、さらにトルコへ移った。以後現在にいたるまでの同氏の亡命者としての人生が始まったのである。氏の叔父のひとりは中国の支配に抗して東トルキスタンの蜂起の首謀者のひとりである。だがこの反乱は地方の中国軍閥によって鎮圧された。軍閥の長、盛世才はのちに国民政府の農業大臣になっている。
 氏は生粋の職業軍人である。1970年代、氏は中央条約機構の参謀総長の職にあった。この組織はNATOの下部組織であり、米国、英国、トルコ、イラン、パキスタンの5カ国から構成されていたが、ホメイニのイラン革命後、解体した。のち氏はトルコ首相の内閣顧問を9年間務めている。
 1998年に東トルキスタン海外亡命者グループがアンカラで会合を行い、統一的な東トルキスタン抵抗組織を結成した。その際、氏がこの新団体の唯一の主席候補となり、ついで主席に先取された背景には、これまで紹介してきた氏の経歴がある。
 リザ・ベキン氏は東トルキスタン民族センターの初代主席である。そしてこのセンターは将来、東トルキスタンからの海外亡命者を統率するとともに、東トルキスタン亡命政府へと発展してゆく位置づけがなされている。
 この東トルキスタン民族センターの本部はトルコのイスタンブールにあるが、トルコには40,000人東トルキスタン亡命者(ウイグル人)が居住するのみであり、大部分の亡命ウイグル人集団はカザフスタンに集中している。その数は同センターの調査によれば150万人に達する。
 実力行使による東トルキスタン独立を主張するグループは大部分がカザフスタンに存在している。それらは東トルキスタン民族センターの指揮に従っていない。
 歴戦の職業軍人という経歴を持ちながら、リザ・ベキン氏は平和を愛する人物である。この点において氏はイスラエルのバラク新首相と似ているといえなくもない。リザ・ベキンは紛争解決の手として話し合いや交渉といった平和的手段の使用を主張する。「民族自決が世界の潮流である。しかし、民主主義と人権が普遍的な全人類的価値であるというのが我々の信念だ。それが中国人であろうと、ウイグル人であろうと、我々は血が流されるのを欲しない。」
 しかし、新疆独立運動は氏の願いとは反対の方向へ向かっているようである。グルジャ(伊寧)で1997年に大規模な抗議運動が発生し、5,000人ものウイグル人が逮捕されたのだが、この大量逮捕のあと、中国の新疆駐留部隊や現地警察への襲撃や刑務所襲撃、北京でのバス爆破などのニュースが相次いで内外に伝えられている。
 中国政府の発表によると、当局はカシュガル(喀什)で地下組織のダイナマイト製造工場と軍事訓練施設を発見し、そのほかにも新疆へ武器を密輸入しようとしたトラック4台を摘発した。押収された武器のなかには機関銃、拳銃、リモコン式爆弾のほか、対戦車砲や体温の変化で起爆する爆弾といったものまでもが含まれていた。
 “新疆のハマス”との異名を持つ団体「東トルキスタン青年の家」は、2,000名のメンバーを抱えている。この団体はあくまでも武力による新疆独立達成を追求する人々の組織である。彼らの間には、アフガニスタンをはじめその他のイスラム諸国で訓練を積んだ者もいて、そのなかにはもちろん爆発物の専門家もいる。
 また、トルコ軍で勤務した経験を持つ者もおり、彼らはクルド族との戦闘で実戦経験を豊富に積んでいる。
 東トルキスタン人の間では、もはや個々人の望むと望まざるとに関わらず、支配者たる中国への抵抗手段として武力を使用することをとする傾向が増大しつつある。
 これは新疆の内外を問わない。長年亡命ウイグル人の指導者的な存在であったイサ・ユスフ・アルプテキン(非暴力による新疆問題解決を主張、ウイグルのダライ・ラマと称された)の死後、ウイグル人の軍事レジスタンスを制止できる権威を持った人物がもはや存在しないという事情もこの傾向を助長している。
 ソ連崩壊後、それまで旧ソ連の版図内にくみこまれその支配下に置かれていた中央アジアののチュルク系諸国家(カザフスタン、クィルグィスタン、トゥルクメニスタン、タジキスタン)は独立を手にした。トルコを加えて、現在国連に加盟しているチュルク国家は7カ国となった。これらチュルク国家においては民族的な自覚がこれまでにないほどの高潮期を迎えている。 たとえば、過去10年のあいだに、34カ国が参加する“チュルク世界大会”はすでに5回を数え、“青少年チュルク世界大会”は6回開かれているのである。
 武力抵抗で独立への道を切り開いたパレスティナとアイルランドの例は、東トルキスタンのウイグル人独立活動家たちのおおいなる励ましとなったのである。
 ここでウイグルと対照的なのはチベットである。チベット人の精神的指導者であるダライ・ラマは過去40年間、一貫して非暴力による自治達成――独立ではなく自治である――を説き続けてきた。だが中国政府はまともに取り合おうとはしない。
 このチベットの例は、ウイグル人たちに中国の圧制者・植民地主義者に耳を傾けさせるには力あるのみという信念を固めさせるもとになっている。
 ベキン氏は英語に長けている。その流暢な英語で氏はこういった。「私はいかなる種類の暴力にも反対する。だが、同時に東トルキスタンの人間が過激な実力行使に走る事情も私は理解している。共産中国の支配があまりに過酷すぎるのだ。ウイグル人の抵抗行動は大部分、自己防衛なのだ。」
 東トルキスタン民族センターはイスタンブールの繁華街の一角にある。施設は11の部屋からなるビルである。この建物は、トルコ議会の制定した特別法案に従い、トルコ政府からウイグル人亡命者へ貸与されたものである。期限は彼らが故郷へ帰ることができるときまでである。
 このセンターは母なる大地を遠く離れた亡命ウイグル人にとっては故郷にいるかのような安心感を与えてくれる存在である。ウイグルの人々はここへ仲間と会い、話すためにやってくる。あるいは、ここのウイグル人コックのつくる故郷の料理を味わいにだけ来る人もいる。
 再びベキン氏の言を借りる。
 「ここイスタンブールとウルムチを往来するウイグル人ビジネスマンたちの話によれば、中国政府が送り込んだ膨大な数の中国人移民たちは我々の伝統文化を破壊しつつある。ウイグル民族はいまや滅亡の瀬戸際に立たされているといえる。」
 暴力革命のみを信奉する体制を相手に、非暴力主義ははたして効果を持ちうるのか。
 この質問に、ベキン氏は直接に答えなかった。
 彼はただ、共産主義者といえども永久に権力の座に居続けることはできないだろうと語ったうえで、「12億の中国人が、このような専制を長く許しては置かないだろう。それに、共産党自体もいまや自ら変化しつつある。」
 これが、氏の言葉である。
 グルジャでの蜂起の直後に、駐トルコ中国大使の姚匡義がベキン氏を晩餐会にまねいた。その席で姚大使は、氏に新疆を訪れみずからの目で実状を確かめてみてはと提案した。しかし、大使はその訪問では氏が新疆問題に関して中国政府と話し合う機会を持つことができるかどうかは保障できないとした。当然ながらベキン氏は招待を辞退した。
 ベキン氏は語る。「もし中国政府が新疆に真実の自治を認めるのであれば、我々は真剣に彼らの申し出を考慮する。だが、北京は我々ウイグル人の最終目標があくまでも独立である点は受け入れなければならない。率直に話し、かつ単刀直入に物事の核心にせまるのがわれわれウイグル人のやりかただ。有意義な結果は真摯で誠実な交渉からのみ生まれる。」
 東トルキスタンの独立は、トルコはもちろんその他のチュルク国家においても―――公然か暗黙裡にかという差はあるが――広い支持を集めている。現在、ベキン氏の率いる東トルキスタン民族センターはイスラム文化圏のそとに支持層を広げようという試みを続けている。その主要な対象は西欧諸国である。ベキン氏はこの秋に米国を訪問し、議会メンバー数人と会見する予定である。
 氏はもし招待されれば台湾を訪れたいと語った。「我々の見地からすれば台湾は一個の国家である。我々は独立を希求するすべての人々を支持する。」
 ベキン氏は台湾総統李登輝の著作『台湾の主張(台湾的主張)』にある“7つの中国論(中国は7地域に分割されればよりいっそう発展できるという主張)”に強い関心を抱いており、この書をウイグル語に翻訳したいと考えている。
 台湾海峡を夾んだ中国、台湾双方の指導者への意見を問われたベキン氏は、ためらうことなく以下のように答えた。
 「江澤民にこう言いたい。新疆への過酷な支配をやめよと。そして、東トルキスタンは中国の一部ではない、中国以外の土地なのだと。」
 李登輝総統に関して、ベキン氏は李登輝総統に会ったことはないが、好意的な印象を持っており、以下のように語った。
 「私は彼に敬意を表する当時に、彼に我々への支持を要請したい。中国から国際社会で陰に陽に迫害され圧迫される身として、彼は我々の苦しみをきっと理解してくれると信じている。」
 東トルキスタン人(ウイグル人)の大半がそうであるように、ベキン氏の祖国独立の意思は、みじんも揺るがぬ信念である。氏のオフィスの壁には東トルキスタンの国旗とともにトルコ国旗が掲げられているが、さらにアタチュルクの肖像画が飾られている。
 アタチュルクは76年前にオスマン帝国の崩壊後、現トルコ共和国を建国した人物である。
 ベキン氏はいう。この肖像は、いつの日か共産主義中国の廃墟のうえに独立した東トルキスタンが再建されるという啓示を与えてくれるのだ、と。

(邦訳:1999/12/17)
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by yaponluq | 2008-04-27 00:07 | 東突厥斯坦/"新疆"ウイグル
東トルキスタン独立への闘い 7.狼と龍が戦う時
曹長青評論邦訳集  東トルキスタン独立への闘い

7.狼と龍が戦う時
http://toueironsetsu.web.fc2.com/QCao/ET/ET7.htm

(『台北時報』1999年10月17日)
 毛沢東の大躍進政策によって新疆地域でも深刻な飢饉が発生し、多数のウイグル人が餓死している。この大躍進政策へウイグル人たちが示した抗議にたいし、中国の支配者たちは大量逮捕と拷問で応えた。

 中国人は龍を崇拝する。その一方、ウイグル人は狼を尊ぶ。
 ウイグルの伝説によれば、彼らの祖先たるチュルク族は、かつて闘いに負けて逃げ込んだ山の中で、狼の乳によって生きながらえたという。そのためウイグル人は狼を彼らを守護する存在と見なしている。チュルク族の人々のあいだでは家や仕事場で壁に狼の毛皮を掛ける例が多いが、これは装飾であると同時に彼らの民族としての証でもあるのだ。
 「中国人は我々を“狼の子”と呼ぶが、彼らはウイグル人を狼同様に粗暴で反抗的なやつらだと考えているからだ。」
 これはアブドゥルヘキム氏(元ウルムチ作家連盟主席、現在イスタンブール居住)の言葉である。
 ウイグル人をして中国の支配に決して屈服させないのも、この狼の性がなせる業なのかもしれない。1930年代から1940年代にかけて、ウイグル人は2度にわたって自分たち自身の国をうち立てるべく大蜂起を行っている。残念ながらそのいずれとも、新疆地方に当時盤踞していた中国の軍閥によって弾圧され、不成功に終わってしまったが。
 中国のそのほかの地方と同様、毛沢東の大躍進政策の結果として、1960年代の初めに新疆は激しい飢饉に襲われた。特にイリ(Ili, 伊犁)州では程度が甚だしかった。
 「バイ(Bay, 白城)では6万人もの人間が餓死した」と、東トルキスタン民族センターの事務所でアブドゥルヘキム氏は証言する。
 「おびただしい人々の死体が路上に転がっていた。これらの遺体は地面を掻きむしった状態でこと切れていた。」
 飢えに苦しむ数千のウイグル人たちは、イリ州政府(グルジャ=伊寧にある)の建物の前に集結し、「食べ物をよこせ」、「漢人の新疆への移民反対」といったシュプレヒコールをくり返した。それに対して人民解放軍新疆軍区司令である王震は、群衆への発砲を軍に命じた。
 この時の正確な死傷者の数はいまだに公表されていない。だが目撃者の一人は、数百の死体が路上に倒れていたと証言している。
 この殺戮はウイグル人を激昂させた。ここで新疆がほかの地方と異なっていたのは、彼らが立ち上がって反乱に踏み切ったところである。
 このウイグル人の蜂起にカザフ人やそのほかの少数民族も同調し、彼らは州政府の建物を襲撃して破壊し、さらに州から大量に逃亡した。
 「この時には、新疆ウイグル自治軍区副指令の副参謀長をはじめ、公安局長などの自治区の主立った役職にあったウイグル人でさえ逃亡したのだ。」
 この事件について、バチェ氏(米国ニューヨークにあるコロンビア大学客員教授、ウイグル史研究)はこう語っている。
 中国政府の統計では、15万人ないしは20万人にのぼるウイグル人が新疆を捨てて当時のソビエト連邦内に流れ込んだとされる。だが前出アブドゥルヘキム氏の計算では、その数は60万にちかい。
 ソ連に脱出したウイグル人たちは、亡命した地で7つの軍団を組織し、それと同時に東トルキスタン民族解放委員会を結成した。その目的は、ソ連の援助のもとでの中国からの祖国開放である。当然ながらこの動きは中国政府を激しく刺激する結果となった。
 この事件のあと、中国の支配者たちへの抵抗運動が新疆地域の多くの場所で連続して発生している。最大のそれは1997年2月にグルジャで起こったデモである。
 このデモは、メシュレプ(チュルク族伝統の娯楽の集い)を禁止したこの地の政府に、憤慨したウイグル人が大挙して陳情へ押し掛けたというものだが、政府側はそのデモの首謀者数人を逮捕する挙に出た。この後、今度はウイグル人若年層数百人が街頭で抗議集会を開いているが、それまでの類似の例と同じく、この集会も人民解放軍が出動して鎮圧されている。
 今年4月に発表されたアムネスティ・インターナショナルの人権報告によれば、このデモの前後で3,000から5,000人が逮捕されたという。さらには数百人が凍り付いたサッカー場に数時間もの間監禁され、なかには裸足で凍りついた地面を走らされた男女もいたという。そこにいた子供や女性の多くは重度の凍傷にかかった。
 「ところが付近のどの病院もこれらの負傷者の治療を拒否したのだ」と、グルジャの市立病院で勤めていた医師(現在はトルコ在住)は証言する。
 「そのため凍傷患者200名のうち4人が死亡した。」
 目撃者の証言によれば、このサッカー場の入り口で中国の部隊と話し合おうとしたあるウイグル人男性にむかって、兵士たちは猟犬をけしかけて襲わせたという。
 このデモに参加した者の多くが投獄されているが、そのうちの何人かは死刑の判決をうけている。シャムセデン氏(グルジャにある紡績工場の元工員)の33歳になる息子も、そのデモに加わって死刑判決を受けたひとりである。ただし彼の刑はまだ執行されていない。外国の人権団体が執拗に抗議しつつけているからである。
 シャムセデン氏はいまイスタンブールに居住している。彼は中国当局から逮捕令状が出ている。同氏のインタビューで、彼は息子にデモに参加するように進めたことがどうして罪になるのかまったくわからないと訴えた。氏は妻とともに、サウジアラビアへ巡礼に出かけるという口実で国外へ脱出した。今年61歳になる氏は現在、東トルキスタン民族センター本部のなかの小さな部屋で妻と暮らしている。
 グルジャでのデモ事件ののち、中国当局は分離主義者と見なしたウイグル人を大量検挙し、彼らを厳しい刑罰に処した。アムネスティ・インターナショナルの報告によれば、1997年以降、新疆地域において210人が死刑の判決を受け、うち190人の処刑が既に執行されている。その大部分はウイグル人である。
 拘置所や刑務所での収容者にたいする扱いが劣悪を極めている点に関しては数多くの証言がある。たとえばニザミディン・ユサイン(Nizamidin Yusayin)というウイグル人(70歳、『新疆日報』記者)の場合、ウルムチで逮捕される際に警察官数人がかりで暴行され、その傷がもとでほどなく拘置所で死亡した。
 この事件につき、この記者と以前職場を同じくしたことのあるアブドゥルヘキム氏はこう解説する。
 「彼は東トルキスタン独立の歴史を認める文章を書いて発表したからあんな目に遭ったのだ。」
 また、アムネスティ・インターナショナルが新疆の元裁判所職員から得た証言だが、拘留者のじつに90%が、警察に拘留された際に拷問によって自白を強制されたと裁判長に訴えるという。だが、裁判長はその訴えを無視すると、その元職員は付け加えている。
 東トルキスタン民族センターに新疆から送られてくる手紙や資料には、新疆の監獄で囚人にたいして行われるさまざまな拷問の種類が載せられている。いくつか例を挙げてみると、

 ・素手や道具で殴打する
 ・喉に電気棒を突っ込む
 ・逆さ釣りにする
 ・火で焙る
 ・猛犬に咬ませる
 ・縛ったまま寒気激しい戸外に放置する
 ・爪と指の間に針や削いだ竹を突き入れる
 ・手足の爪を剥ぐ

 などがある。
 アムネスティ・インターナショナルの報告書は、今述べたこれらの拷問が実際に使用されている証拠となっている。そのほか、ここにはあるウイグル人囚人の証言が収録しているが、これによるとこの囚人は取り調べを受けた際、取り調べ官によって馬のたてがみを縒って作った糸を尿道へ何度も突き込まれたと話している。この拷問は25分から30分も続けられ、彼の性器は腫れあがって出血したという。彼は最終的には執行猶予処分になったが、これは彼の友人が警察へ5,000元の賄賂を贈ったからだった。それから2ヶ月の間、小用を足す度に性器から出血したと、この元囚人は述べている。ちなみに、傷の治療には半年かかったとのことである。
 「中国政府や中国人は我々を分離主義者だのテロリストだのと非難するが、当の本人は我々ウイグル人を情け容赦もなく殺し、幼い子供にさえ暴力を振るっているではないか。我々に言わせれば中国はテロリスト国家、中国人はテロリストの集団だ。
 アブドゥルヘキム氏は憤激の色を隠さない。
 「これを忍べるというならこの世に忍べぬものなど存在しない。ウイグル人の忍耐は限界に達した。もはや抵抗あるのみだ。遅かれはやかれウイグル人と中国人のあいだに大規模な流血沙汰が必ず起こる。」
 はたして氏のいうように狼(ウイグル人)と龍(中国人=漢人)がはたして戦う時が来るか。将来のことは誰にも確言できない。ただし、もしそうなればこの両民族の間で過去積み重ねられてきた怨恨がさらに激しさの度を加えるのは間違いないことだけは確かである。

(邦訳:1999/12/13)
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by yaponluq | 2008-04-27 00:04 | 東突厥斯坦/"新疆"ウイグル
東トルキスタン独立への闘い 6.生き続ける植民地主義
曹長青評論邦訳集  東トルキスタン独立への闘い

6.東トルキスタンに生き続ける植民地主義
http://toueironsetsu.web.fc2.com/QCao/ET/ET6.htm

(『台北時報』1999年10月16日)
 天高く皇帝は遠し。中国で昔からいいならわされてきた諺である。支配者から遠く離れてその目が届かなければ、好き勝手に振るまえるという意味である。
 たしかにウルムチから北京は遠い。2,000マイル離れている。だが、北京の中国政府が新疆を忘れることは決してないのである。
 清朝が新疆を占領したのは1860年であるが、それ以降、中国人はウイグル人の抵抗運動を絶えず弾圧し続けてきた。
 弾圧の被害をもっとも被ったのはウイグル人知識人層である。さらには、弾圧の結果、ウイグル語とウイグル文化は深刻な打撃を受けた。
 侵略者として新疆へ乗り込んだ中国共産党軍の王震将軍は、新疆地域のツァー(皇帝)となった。貧しい農民出身でほとんど文盲に等しいこの人物に、イスラム文化への理解などあるはずもなく、新疆で彼の採った政策は、国民党軍に対するときと同様、ひたすらの殺戮だった。
 「王震は教師のほぼ全員を逮捕して投獄した。王震が新疆を支配した期間は短かったが、そのあいだに25万のウイグル人が殺された。すこしでも教育を受けたことがあったり、中国人の支配にわずかでも不満を示したウイグル人はすべて、“分裂分子”と判定された。」
 これはアブドゥルヘキム氏(ウイグル人・作家)の証言である。
 「1970年の5月29日に、30名のウイグル知識人がウルムチ郊外の洪橋という場所で処刑された。新疆ウイグル自治区副主席のイミノブ(Iminov)も、彼が入院していた病院で秘密裏に殺されたのだ。」
 ウイグル人知識人層は、政治的な運動が惹起される際にはつねに迫害の対象となる。
 アンカラにあるハジェテペ(Hacettepe)大学の講師であるエルキン・エクレム(Erkin Ekrem)氏によれば、「1976年の粛清で30,000人ものウイグル人が投獄されたが、その大部分は知識人だった」という。
 同氏の両親は、新疆経済管理学院の教授であった。彼らはこの粛清の嵐を生きのびた人々である。
 中国は現在、多くの学問分野でのタブーを取り除いて自由な研究を許可している。だが、東トルキスタンの歴史に対しては研究者に研究の自由はなく、自由な著作の出版も依然として不可能な状態である。
 目下中国で出版されている新疆関連の書籍はその大部分が中国語でかかれたものである。 中国政府はウイグル関連の出版物については依然として厳重な統制を敷いている。中国の支配者は、ジョージ・オーウェルが『1984年』で記した金言を拳拳服膺しているのだ。「過去を支配する者は現在を支配する。」
 1989年の天安門事件の直後に、中国政府はウルムチにおいてある会議を開催した。その会議には中国全土の大学から70名の歴史学教授が招聘されたのだが、その目的はトゥルガン・アルマス(Turgan Almas)というウイグル人歴史家(新疆社会科学院研究員)の著作『ウイグル(維吾爾)』を批判するところにあった。政府の意を体したこの70名の教授たちは、これはウイグル人を美化した国家分裂扇動の書であると攻撃した。当のトゥルガン・アルマス氏はこの会議に招かれず、自らを弁護する機会さえ与えられなかった。
 会議に出席した70人のほとんどは漢族である。しかしながら、この会議で、『ウイグル人』が『史記』と『新唐書』、『旧唐書』という中国(漢人)側の歴史記録にもとづいている事実には誰も触れなかった。
 通常、ウイグル人研究者がウイグルの歴史に関する著作を出版できる可能性は非常に低い。この『ウイグル』にしても、原題は『ウイグルの歴史(維吾爾歴史)』だったのだが、タイトルから“歴史”という文字を取り去ってやっと出版できたのである。
 60歳を越えた老人であるトゥルガン・アルマス氏は自宅で軟禁され、同氏の家族も警察の厳重な監視下に置かれた。
 この出来事のあとすこしして、今度はカザフ人の有名な作家であるハジ・クマル(Haji Kmar)氏が“外国のスパイ”という容疑で逮捕された。ただしこの容疑のいかなる証拠も示されなかった。
 トゥルガン・アルマス氏の場合と同じく同氏の著作は禁書とされた。
 さらには、トゥルスン・クルバン(Tursun Kurban)という、新疆大学教授で人民政治協商会議のメンバーでもある人物が発言内容が当局の忌諱に触れたかどで有罪とされている。
 1990年代になって、中国共産党民族事務委員会は新疆地域の地方誌を編纂するプロジェクトを開始したのだが、トゥルスン・クルバン氏はその最終稿とりまとめの責任者だった。手元に集まってきた調査結果や様々な統計数字にもとづき、同氏は、中国政府発表のウイグル族人口――720万人――が著しく現状と異なる事実に気が付いた。実際には、新疆におけるウイグル族人口は、都市部を除いた地域だけで1350万人に達していたのである。
 この発見に同氏は興奮し、自治区主席へ電話をかけた。この“興味深い”ニュースを伝えるためだったのだが、それからまもなく彼はある学校の図書館司書に左遷された。
 この左遷は、同氏の「発見」が新疆安定にとり危険であるという判断によるものであった事情が、のちになってあきらかになった。
 「ウイグル人には自分たちの手になる歴史書がない。」と、アブドゥルヘキム氏は憤懣を露わに語る。
 「1980年代にはウイグル人の音楽の書籍すらなかった。長年北京の中央政府へ嘆願し続けてやっと、中国の支配者たちはわれわれが自分たちの伝統音楽について書籍を出版するのを許可した。」
 同氏はこのあと、ウイグル音楽に関する書籍22冊を共同編集して世に送り出している。
 ウイグル語は中国語と根本的に異なる言語である。ウイグル語は表音文字で、ウイグル文字は32文字からなる。そのうちの26文字は英語と同じである。
 中国政府は、1962年にウイグル族にたいし、それまでの文字を廃止してあらたなウイグル文字を制定するよう強制した。
 「新しいウイグル語では多くの言葉が中国語とおなじように発音される。」と、アブドゥルヘキム氏はいう。「中国はわれわれの言語まで漢化しようとしているのだ。ところが、1980年代になって中国政府はこの新しいウイグル語をやめてもとのウイグル語にもどれと命令した。その結果、新言語だけを教えられた若い世代のウイグル人は読み書きができない文盲同然の存在になってしまった。」
 
 この突然の決定反転の裏には、新ウイグル語がトルコ語に近い事実に中国の為政者が気が付いたことがあるらしい。ウイグル人に彼らのチュルク民族としての自覚をいっそう促し彼らの独立志向を助長しかねないという懸念が働いたらしく思える。ところが、伝統的なウイグル語はアラビア語に属する。どちらにしても中国政府はウイグル人のイスラム文化圏へのつながりを断ち切ることはできないのである。
 「中国政府は長い間ウイグル人を漢化しようと全力をつくしてきました。中国人はわれわれにすべて中国風にせよと強制してきたのです。」
 これは、ヌラニエ(Nuraniye)女史(アンカラにあるチュルク歴史学会の研究員、5年前に新疆から脱出)の言葉である。
 1995年に和田市の陶磁器工場を訪れたカール・メイヤー(Karl Meyer)氏(『ニューヨーク・タイムズ』紙編集記者)は、そこで掲げられているポスターが全部中国語で書かれていることに気が付いた。和田市の総人口18万人の96%がウイグル人だというのにである。
 さらに、トルファン(Turpan, 吐魯番)近くのある鉄道の駅では、時刻表をふくめて表示のほとんどすべては中国語だった。
 これを目にしたメイヤー記者は書いている。
 「この地の多数派であるウイグル人にはさぞ不便であろう。」
 ウイグル人にとって何にもまして苦痛であるのは、中国政府が中国の国土の広大さを考慮せずに単一時間制(すなわち北京時間)を採用していることである。
 「このため、北京から2,100マイルも離れているカシュガル(中央アジア最大のオアシス都市だ)では、ほとんど正午まで真っ暗という馬鹿げた状態になっている。ホテルの支配人は午前8時に従業員の点呼を行うが、従業員はロビーの椅子で居眠っている。やむなくカシュガルの住民(90%がウイグル人)は、人と会うときには土地の昼間にあわせた“現地時間”を別に定めている。」
 メイヤー記者はこう評している。
 「新疆ではすでに過去のものとなったはずの植民地主義が、博物館に陳列されている古鐘のように、いまだに生き残っているのだ。」

(邦訳:1999/12/10)
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by yaponluq | 2008-04-26 23:47 | 東突厥斯坦/"新疆"ウイグル
東トルキスタン独立への闘い 5.新「三光作戦」
曹長青評論邦訳集  東トルキスタン独立への闘い

5.新「三光作戦」 ―食い尽くし、奪い尽くし、分配し尽くす―
http://toueironsetsu.web.fc2.com/QCao/ET/ET5.htm

(『台北時報』1999年10月15日)
 三光作戦(焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす)は、中国を侵略した当時の日本軍が掲げた対中国方針である。

 中国の公式数字によれば、中国でもっとも貧困とされる25県のうち、じつに20が新疆地域にある。
 新疆は中国全体の面積のうち6分の1を占める。台湾の44倍の広さである。新疆はまた、豊富な石油や天然資源の宝庫でもある。しかしながら、すでにのべたように、中国の最貧県25の20が新疆地域に集中しているのである。
 「共産党はつねに自分たちは中国の救世主であると主張している。だが共産党が新疆を支配して50年にもなろうとしているのに、いまだに生活必需品すら地域住民に満足に与えることができない。」
 アブドゥルヘキム氏(東トルキスタン民族センター執行主席)は指摘する。
 「水もない、牧草もない、食物もだ。中国人は新疆を搾取しているだけなのだ。新疆生産建設兵団は新疆における最良の耕地と最も肥沃な放牧地を占拠し、水資源を支配し、戦略上最重要な地点を占領している。そのうえ、この機構は地元住民の分離運動を弾圧する役目も果たしている。」
 新疆生産建設兵団は1950年初期に設立された。構成員は240万人、そのほぼ全員が漢族である。兵団指揮下の11の師団と150の連隊は、新疆におけるすべての主要都市の周辺地帯に駐屯している。
 かつて『烏魯木斉晩報』の記者だったアブドゥルヘキム氏は、新疆ウイグル自治区政府へ送られてきた一般大衆からの陳情書や手紙を閲覧できる機会に恵まれた。それらを読んた氏にわかったことは、6ヶ月のあいだに政府へ500通もの陳情書が送られてきていたという事実であった。
 そしてそのほとんどはウイグル族からのものだった。ウイグル族は、新疆生産建設兵団による自分たちの土地や放牧地や水資源の強制収用をくちぐちに訴えていた。
 「アメリカ人はアメリカ原住民の土地を奪ったがそれによって世界第一級の国家を作り上げた。英国人は香港を占領したが香港を富強な港市に変えた。だが中国人が新疆を征服してから新疆はかえって貧しくなった。中国は新疆にある資源を収奪するばかりだからだ。そのうえ新疆にもとから生きていたわれわれウイグル民族を滅亡させようとしている。」
 これは、ウイグル人の元教師の言葉である。この人物は、三週間前にウルムチからイスタンブールへ脱出してきたばかりである。

失業率

 この元教師は続ける。「新疆地域の失業率は上昇の一途をたどっているが、我々の間ではレイオフのことを“ウイグル人解雇”と呼んでいる。くびになるのはウイグル族ばかりだからだ。漢人は解雇されない。それどころか、あとからあとから内地から新疆へ押し寄せてくる。」
 経済的発展にともない、中国では税の種類が増加し、その額も増加している。たとえば、政府系紙『新疆法制報』によれば、新疆地域には37種の税が存在する。ただし、そのなかには“天気予報税”なるものまで交じっている。新疆の住民は、明日雨になるかあるいは雪がふるかどうかを知りたければ税を払わなければならないのである。課税と納税に関していえば、新疆の状況はほかの地域よりも悪いといえる。
 年配のウイグル人たちは現在の新疆の生活水準が1930年代より低いと嘆く。若い世代は、こんにちの新疆の貧しさに憤慨する。
 アヘマト(Ahemat)氏(28歳)はイスタンブールで食品科学を学んでいる若者だが、かれは、「僕の故郷である和田(Khotan)地区の住民たちは極貧に喘いでいます。和田では一人当たり平均年収は、たったの50米ドルなのです」と訴える。
 和田は新疆で最もまずしい地域のひとつである。人口は140万人。
 だが、中国政府がこの状況を改善しようとして国連や世界銀行から借款や資金援助をうけているのは事実である。しかし内部の事情通に言わせれば、“資金の大半が北京と新疆そうほうの官僚機構を通過するあいだにそのほとんどが盗まれてしまう”。海外からの援助金は、「専門家」や官僚の手を経るあいだにどんどん目減りし、最終的にはほとんど零にちかくなるという。
 汚職は中国のいたるところで蔓延している。贈賄・収賄・公金横領のニュースが中国の新聞各紙のいずれかに載らない日はない。原因は構造的なものであって、いくら中央政府がやっきになって撲滅キャンペーンをはろうと効果はない。
 新疆地域の政府組織もまたその例外ではない。新疆地域においては、「天ハ高ク皇帝ハ遠シ」、つまりお上の目が届かない。それをいいことに新疆の政府官僚や党幹部たちは臆することなく公金をわけ取りにし、恬として恥じるところがない。
 アイセム(Ayxem)女史は生粋のウイグル人である。彼女は2ヶ月前中国からイスタンブールへ来るまでは、新疆女性連合会という団体で働いていた。この団体は年に10から15件の援助プログラムを運営していた。「カナダからの新疆貧困撲滅援助のプログラムだけでも一年に30万人民元が渡されてきたのです。」
 筆者の問いに答えて、彼女は連合会の責任者と彼女のふたりが“管理費”の名目で各プログラム費用から5%を抜き取っていた事実を明かした。
 「でも」と、彼女は言葉を強めた。「ほかの部署にくらべれば、私たちが盗んだのはほんの少額です。ほかの部署の人たちはもっと恥知らずでした。」
 アイセム女史は北京農業大学出であり、つまりは中国のこの分野におけるもっとも優秀な専門家のひとりであるということになる。このため、1997年に国連開発計画(UNDP)の職員が調査のために新疆を訪れた際、彼女は調査団を受け入れる中国側の代表員として命じられた。彼女は国連調査団に同行して和田地区にあるカラバシュ(Karabash, 墨玉)県のサイバグ村を訪れ、そこの貧困家庭を訪問した。
 「国連調査団はその家族のあまりの貧しさを目にして涙を流さずにはいられませんでした。」この言葉を口にするアイセム女史の表情もまた悲しみに曇っていた。「そこの貧困の度は彼らの想像をはるかに超えて信じがたいものだったのです。夫婦と子供5人の一家は石製の暖炉の上で一緒になって眠っていました。下に敷くマットなどなく、わずかに薄い布を身体と暖炉の石の間に敷いているだけで、しかも7人が掛け布団代わりに1枚の布を共有してるといった有様でした。その一家の食事は1日1回がせいぜいでした。」

国連の援助

 訪問団はその場でこの村への国連による援助を決定し、170万米ドルの援助額が与えられることとなった。
 ところが、その援助金は北京の中央政府から新疆へと遠く旅するうちに、さまざまな組織や団体の手を通過し、そのたびごとにありとあらゆる名目のもとに減額されていき、援助金が和田地区墨玉村の「扶貧弁(貧困層援助の担当役所)」に届けられたときには、170万ドルがわずか14万5,000ドルとなっていた。

 アイセム女史は言う。
 「費用を水増しするためにもっともらしい項目を考え出すのなど簡単です。たとえば研究を行うという名目で専門家のチームを編成します。新疆ウイグル自治区にはこの実例として『女性問題専門家チーム』や『牧畜業専門家チーム』、『農業専門家チーム』などが存在しますが、そこに集められた専門家たちは毎日あたり100元の給与をうけているのです。」この『専門家チーム』なるものは3ヶ月をかけて“研究”を行う。ちなみに、らのの日給はアイセム女史が勤務先である新疆女性連合会から受け取る月給の半分に当たる。
 ところで、最後に残った14万5,000ドルも、真に必要としている人々の手には渡ることはなかった。墨玉県政府のある役人がひそかにアイセム女史に語ったところによると、県政府はこの金を窯業工場を建設しようとしていた富裕な農家に貸し付けてしまったという。ところがその工場はまもなく倒産し、政府は貸した金額を回収できなくなった。
 実は、倒産は最初からの計画であり、県政府の役人がその農家とぐるになって援助金を横領したのであった。
 北京の中央政府がこのような情勢を知らないはずはない。だが中央は、ウイグル人が国家へ反抗の色を見せない限りはたいていのことは黙認するつもりであるらしい。
 「“分離主義活動”にくらべれば腐敗や汚職は大したことではないというのでしょう。」
 と、アイセム女史は言う。
 「東トルキスタン独立運動の抑圧が最重要問題なのです。」

 国家の秩序維持が中国政府にとって国内政策の最優先課題であることは新疆においても変わらない。中国からの分離独立を志向する活動が現今の中国の支配者にはなによりも警戒すべき対象であり問題なのである。
 「新疆にいる高級官僚はみな腐敗しています。これは漢族、ウイグル族を問いません。だれもが権力を笠に着て金をくすねる機会を虎視眈々と窺っているのです。」
 これがアイセム女史の結論である。
 「彼ら貪官汚吏のやり方は、新『三光作戦』とでも名付けることができるでしょう。彼らは新疆で、食い尽くし、奪い尽くし、分配し尽くすことを目的としているのです。」

(邦訳:1999/12/7)
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by yaponluq | 2008-04-26 23:33 | 東突厥斯坦/"新疆"ウイグル
東トルキスタン独立への闘い 4.中絶のメスと核実験のはざまで
曹長青評論邦訳集  東トルキスタン独立への闘い

4.中絶のメスと核実験のはざまで
http://toueironsetsu.web.fc2.com/QCao/ET/ET4.htm

(『台北時報』1999年10月14日)
 新疆地域はウイグル人による自治区域ということになっている。しかし現実には漢人の完全な支配下にある。新疆ウイグル自治区主席はたしかにウイグル人だが、そのランクは同自治区に置かれている5つの統治機関(新疆ウイグル自治区人民代表大会、人民政治協商会議、中国共産党規律検査委員会、人民解放軍新疆軍区、新疆生産建設兵団)の長より高いものではない。
 新疆におけるこれら最高統治機関の6人の長たちは、全員が中国共産党新疆ウイグル自治区委員会の副書記である。中国共産党新疆ウイグル自治区委員会のメンバーはほとんどが漢人である。真に権力を握っているのは党書記だが、このポストはつねに漢人によって占められてきた。初代が王震(1940年代末の中国による新疆侵略の指揮者)、以後王恩茂、宋環良とつづき、現在は王楽泉がその地位にある。
 重大問題の決断にあたって、ウイグル人たる新疆ウイグル自治区主席は、この7人──すなわち党書記と6人の副書記──で構成される委員会で1票を行使する権利しか持っていない。しかも、最終的な決定権を有するのは党書記である。このため、党書記は“新疆のツァー(皇帝)”と呼ばれる。
 権力構造がこの通りである以上、新疆地域のウイグル人官僚が中国人(漢人)の支配者やその支配に抵抗するのは不可能である。彼らは貝のように口を閉ざして沈黙を守る。
 中国全土がそうであるように、中国政府は新疆においても人口抑制政策を取っている。漢族にたいする一人っ子政策にくらべれば、ウイグル人をはじめとする非漢民族は2人以上の子供を持つことを許されているのは事実である。しかし、伝統的に大家族制を保ってきたウイグル人にとっては中国政府の政策は憎悪の対象でしかない。
 アブドゥルヘキム氏(東トルキスタン民族センター執行主席)の例を挙げれば、氏には兄弟姉妹が10人いる。氏は両親の8番目の子供である。彼には姉がいるが、現在ウズベキスタンに住む彼女にはやはり子供が10人いるのである。
 「私には2人の娘がいる」と、アブドゥルヘキム氏はいう。「私は息子が欲しかった。だが、当局は規則を犯せば罰金を課すと警告した。それでもいいと私は答えた。罰金を支払ってでも息子が欲しかったからだ。党専従のやつらは私を党から除名すると脅迫までした。わたしはそんな脅しにも耐えた。そうすると彼らは今度は私の職場で批判集会を開いて無理矢理あきらめさせた。結局私の妻は2回堕胎し、そのために妻は死にかけた。」
 アブドゥルヘキム氏が念願の息子を得ることができたのは、5年前にイスタンブールへやってきてからのことである。

 ウイグル人は子供を2人までもつことができる。漢人はひとりである。これらはべて政府による出産割り当て政策によるものである。出産はこの割当枠内で許される。夫婦は政府によって枠を与えられて初めて子供を出産することができる。通常、新婚夫婦は結婚後3年から4年たたないと割り当てをもらえない。無断で子供をもうけると3万人民元の罰金処分となる。
 「貧乏で罰金を払えなければどうなるか。」
 アブドゥルヘキム氏は続ける。
 「たとえば牧畜民の場合、家は破却され、家畜は没収されることになる。」
 東トルキスタン民族センターにはしばしば新疆から手紙が届く。そこには強制的な中絶についての訴えが満載されている。
 ある手紙にはアクス(Aksu,阿克蘇)地区のトクス(Toksu,土克蘇)県にあるウガン(Wugan,烏干)郷で起こった事件が書かれていた。ニヤサム(Niyasam)という名の28歳のウイグル人女性は妊娠9ヶ月目に入っていた。だがこの女性は割当枠を持っておらず、当局はこの理由で3人の公安とその地区の計画出産担当部署の責任者であるハリチェム(Halichem)を派遣して彼女を無理矢理に病院へ連行し、帝王切開をおこなって堕胎させた。
 取り出された赤ん坊がどうなったかは誰も知らなかったが、ニヤサムはやっとのことで、遺体が病院の裏の地面に掘られた穴に捨てられたことを知った。

 ニヤサムの夫は、夜陰にまぎれて我が子の身体を取り返せるとおもい、そののちイスラム教の伝統にしたがった葬儀をだしてやろうと考えた。だが、病院の外にひそみ、夜になって穴にやっとたどり着いた夫が見たものは、野犬に食いちぎられてむざんな肉塊となった我が子のなきがらだった。
 その後、ニヤサムはふたたび妊娠した。彼女はまた逮捕されるのではないかと恐怖した。そのとき彼女は予定出産日まで数日を余すのみとなっていた。だが今度は、ニヤサムは追っ手が彼女の友人の食堂で飲み食いしているあいだにうまく逃げおおせることができた。彼女は山の麓ちかくの墓場に身を隠し、そこで無事娘を産み落としたのだった。
 東トルキスタン民族センターが入手した数字によれば、トクスだけで1991年に846人のウイグル人が強制的に中絶手術を受けさせられている。そのうちの多くがすでに妊娠して数ヶ月を経過しており、帝王切開手術による強制的な堕胎によって母胎の健康のみならず精神的にも悪影響を及ぼす結果となった。うち17人が中絶手術のために死亡している。

人口抑制政策

 同じく1991年、コータン(Khotan)地区にあるカシュガルへ、中国当局は432名の人員を派遣して人口抑制政策を実行した。その結果、18,765件の中絶手術を実施したが、そのうちの半分以上がウイグル人の女性に対して行われたものであった。
 「この政策は、ウイグル人の人口減少をねらったものだ。」
 と、東トルキスタン民族センター主席のベキン氏は言う。「それにくわえて、新疆で中国が行う核実験によって現地住民の健康は甚だしく損なわれている。チュルク族は中絶のメスと原子爆弾に夾まれて生きているのだ。」
 これまで中国は46回の核実験を行った。そのすべてが新疆においてである。なかでもロプノール(Lopnor, 羅布泊)において1995年8月17日に実施された実験結果は、報告によれば広島型原爆の10倍の破壊力を有するものだったという。
 新疆にボストゥン(Bostun,博斯騰)湖という清冽な水質で有名な湖が存在するが、その近くにマラン(Malan, 馬蘭)という場所がある。この土地を中国は秘密核実験場として利用している。マランは、ウイグル人やモンゴル人の居住地域から10キロも離れていない。
 バチェ(Bache)氏は新疆で生まれ育ったモンゴル人であるが、現在は米国ニューヨークにあるコロンビア大学付属東アジア研究所で、客員教授として教鞭を執っている。同氏が筆者に語ったところによると、同氏が数年前にマランを訪れた際、核実験場に近い場所に生えていた木の表皮はみな枯れ、葉はすべて落ちていた。地元の病院の院長は同氏にこう証言した。
 ・住民の多くの間で頭髪が抜けおちたり、さまざまな皮膚疾患といった病例が見られる。
 ・血液中で病理学的変化が認められる地域住民患者の数は他の地域と比較して5-6倍に達している。
 ・白血病や咽喉癌に罹患した児童や婦人の数が急激に増加している。
 ・早産の事例が増大し、奇形児出産の報告も増えた。

 バチェ氏はこの地域に住む兄弟がふたりいるが、ふたりとも最近相次いで病死した。病気の種類も原因も不明である。

生物兵器

 ロシア人のケン・アリベク(Ken Alibek)氏は現在米国で核による汚染に関する研究に従事している。同氏はもともと、“ソビエト連邦核・生物兵器貯蔵センター”で専門職として勤務し、8年前に旧ソ連から亡命した人物である。同氏は1992年に出版した著書『バイオハザード(Biohazard)』のなかで、ゴルバチョフがこのセンターに対し、細菌兵器開発計画スケジュールを準備せよという命令を下していた事実を明らかにしている。
 ところで、同氏はマランにおいてエボラ菌とマールブルグ菌というきわめてまれな種類の細菌を発見した。これらはアフリカにおいてさえ滅多に存在を確認できない細菌である。
 この事実は、中国が1980年代の初めにはすでに細菌兵器の実験を開始していたことを暗示している。
 1980年代の前半5年間に、新疆南部において伝染病が連続して発生し、多数の使者を出したが、病名がまったく不明だったので、発生順に「第1号病」「第2号病」というふうに名付けられていった。だがあまりに次々と新種が発生するために、ついにはすべて「未知の病気」とだけよばれるようになった。
 「新疆の医師は交代でこの地域の患者の治療に当たっています。」
 とは、元ウルムチ病院勤務の医者(女性、45歳、匿名希望)の証言である。彼女は現在イスタンブールに居住している。
 「東トルキスタンの歴史にこんな伝染病が存在した記録はまったくありません。」

(邦訳:1999/12/3)
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by yaponluq | 2008-04-26 23:30 | 東突厥斯坦/"新疆"ウイグル
東トルキスタン独立への闘い 3.滅びつつあるウイグル民族
曹長青評論邦訳集  東トルキスタン独立への闘い

3.中国支配のもとで滅びつつあるウイグル民族
http://toueironsetsu.web.fc2.com/QCao/ET/ET3.htm

(『台北時報』1999年10月13日)
 ウイグル人は新疆ウイグル自治区において、漢族と平和共存し幸福な生活を送っている。
 ──というのが中国政府の常套句であり、中国官製メディアのくり返すところでもある。
 だがトゥラン・ヤズガン氏(チュルク国際研究基金会主席)に言わせれば、現実は正反対である。

 イスタンブールにある事務所で同氏は筆者にこう語った。「東トルキスタンへの大量の中国人移民が始まって以降、民族間の矛盾は過去に例を見ないほど激しさを増している。自治区なるものは虚名にすぎない。実際にはウイグル人は中国によって完全に支配され、計画的な中国化が遂行されつつある。」
 共産党軍が新疆へ侵攻する以前、新疆における漢人人口は全体の5%を占めるにすぎなかった。
 しかし現在、漢族は新疆の人口1,700万人のうち、37%に達している。この急激な人口の増大は50年という時間的スパンからすれば、異常であるといっていい。
 「1995年に中国政府が新疆ウイグル自治区設置を決定した当時の政府文書によれば、ウイグル族は全人口の93%という比率を維持し、残りの7%はその他の民族(漢族、モンゴル族、カザフ族など)ということになっていた」と、アブドゥルケキム・イルトゥルビル(Abdulhekim Iltrbir)氏(東トルキスタン民族センター執行主席)は、イスタンブールにある混雑したオフィスでのインタビューで証言した。
 「それが今ではウイグル族は新疆の人口の47%にしかすぎない。そのうえに、ウイグル族の大部分は放牧地や僻地といった条件の悪い場所へ追いやられている。グルジャ(Gulja,伊寧)、アクス(Aksu,阿克蘇)、コルラ(Korla,庫爾勒)、クムル(Kumul,哈密)、ボレ(Bole,波羅)、クイトゥング(Kuytung,石河子)、ウルムチのような大都市では、人口の80%は漢族だ。首都のウルムチでは、ウイグル人は2ブロックの区画に押し込まれて生活している有様だ。」
 チベットに対するのと同様、中国政府は新疆地域へ大量の漢人を移住させている。中国からの移民の大量流入は、ウイグル人との緊張を激化させた。漢人移住者たちは地元住民との間で水や土地をめぐって争い、また職の奪い合いを繰り広げている。移民たちは新疆地域で現地民への民族差別を蔓延させた。
 1950年代の初めには、グルジャ(伊寧)の総人口に占める漢族の割合は10%に満たなかった。今日グルジャの人口は140万人だが、そのうちの100万人が漢族である。

 ウイグル人の多くは名前のみを自らの呼称にする。シャムセデン(Shamseden)氏(61歳)もそのひとりである。彼はグルジャ出身で、以前は紡績工場で働いていた。サウジアラビアへの巡礼という口実によって、シャムセデン氏は2年前に妻とともに新疆を脱出し、トルコへ亡命した。
 氏は新疆では地元の紡績工場で開業時から働いていた。氏はイスタンブールにある彼の家でこう語った。「私は当時まだ17歳だった。当初の工場規則では、漢族は雇用者の25%に限ると決められて、のこりはウイグル人に充てられるべきものとされていた。だが後になると規則が変えられた。」
 今日では事態は正反対の方向に向かっている。伊寧の紡績工場における雇用者8000人のうち、70%を漢族が占めており、ウイグル族は30%にすぎない。
 シャムセデン氏はこの工場で33年間働いた。
 「給与の引き上げや昇進はいつも漢人ばかりだった。仕事の能力は漢語の読み書きの能力を基準にして判断されたから、漢人は優遇されていたし、その機会も多かった。」
 「工場に就職してからすぐに漢語の勉強を始めた。しかしいまだに漢語で書かれた新聞は読めない。」
 現在、中国人(漢人)は新疆で特権階級を形成し、あらゆる行政組織の実権を握っている。
 アイセム(Ayxem)女史(30歳)は、筆者と会う2ヶ月前にウルムチから脱出してきたばかりだった。新疆ウイグル自治区女性連合会の地元幹部だった彼女においてさえも、その半生は激しい差別の連続だった。
 「新疆ウイグル自治区女性連盟の幹部のうち、ウイグル人はたったの21%にすぎないのです。30ある支部の長はいうまでもなく、上級研究員もすべて漢人なのです。」
 イスタンブールに存在する新疆からの亡命者社会の誰に尋ねても、中国人(漢人)のウイグル人に対する差別の現実を、豊富な体験と実例を挙げながら事細かに物語ってくれる。
(ちなみに、ある28歳のウイグル人女性にインタビューを申し出ると、彼女は匿名扱いを希望した。理由は、中国政府が新疆に残っている彼女の親戚に報復として何をするかわからないから、というものだった。)
 以下は、ウルムチのあるテレビ局の女性記者の言葉である。
 「局では110名働いているが、ウイグル人は9人しかいません。のこりはすべて漢人です。局のトップも党書記も漢人です。新疆のそのほかの地域と同様に、これら指導的立場にある人間はみな軍人が任命されることになっていて、彼らはジャーナリズムや教育に関しては何も知りません。それどころか、編集者や記者の4分の3も彼らの上司と同じ軍人出身の人々で、しかも地元政府高官の子弟がほとんどなのです。ジャーナリズムなど勉強したこともない人々ばかりです。」
 この女性記者は新疆大学でジャーナリズムを専攻した。
 彼女の証言のいくつかを紹介する。
 「ウイグル語番組用の記事原稿をウイグル語で書くと、局長に『ウイグル語など知らないから』漢語で書き直せと命じられました。」
 「局長の検閲を経ないと原稿をウイグル語に訳せないのです。ウイグル語番組の原稿だというのに。」
 「放送局には4人の副局長がいますが、ウイグル人はひとりだけです。しかもこのウイグル人の副局長にはウイグル語ニュースの編集権も放映決定権もありません。」

 彼女の経験は、ほかの多くのウイグル人が等しく共有するところである。東トルキスタン歴史学会(the East Turkestan History Society)の中央アジア史研究員であるヌラニエ(Nuraniye)女史は、現在はアンカラに住んでいるが、もともとは新疆のカシュガル(Kasgar, 喀什)から40キロほど北にあるアルトゥシュ(Artush)の生まれである。
 「まだほんの子供のころから差別を体験してきました。私の通っていたウイグル族の小学校にはサッカーやバレーボールのための設備も施設も、それどころか運動場そのものがありませんでした。ウイグル人の児童はまず運動場をつくるために野原の石を掘り起こして運び出すところから始めなければならなかったのです。でも隣にある漢族の小学校にはありました。ウイグル人の子供たちは運動の時間が来るごとに漢族の小学校までいかなければならなかったのです。」
 「よくある話だ」とは、アブドゥルヘキム氏のコメントである。氏は、元『ウルムチ晩報』の記者である。
 アブドゥルヘキム氏は筆者に、1984年のある日、氏がカシュガル近郊のある村を取材したときの情景を語ってくれた。──ウイグル人の子供たちが一本の木の木陰で授業を受けている。学校の建物が崩れてしまったのだ。すぐ近くに漢人の学校があったが、ウイグル人の子供たちはその建物を借りて授業を行うことを許されなかった。教師にむかって、どうして学校を建て直すために資金を集めないのかときいた。返ってきた答えは、「土地がない」だった。
 新疆の土地はすべて、1954年に創設された新疆生産建設兵団の管理下に置かれている。この組織は、新疆に存在する集団農場群と辺境軍事駐屯基地群から構成される巨大組織である。抱える人員数は240万、すべて漢人で、新疆全体に生活する漢族の3分の1がこの組織に所属している。
 エコノミスト誌(The Econmist)が最近、この新疆生産建設兵団について報道したが、そのなかで、740万エーカーの土地を管理し、172の大規模農場、344の企業、500の学校、200の病院、46の研究施設を支配するこのコングロメリットを、「国家のなかの国家」と形容した。それに補足すれば、この組織はそれに加えて自身の警察と裁判所まで有しているのである。それどころか、新疆に存在する労働収容所の半分がこの新疆生産建設兵団の管轄下にあると言われている。
 「兵団のメンバーは漢人だけだ。漢人は我々の土地を奪い、我々の職を奪い、水と牧地を奪った。我々は故郷で少数民族になり、二級市民に成り下がった」と、アブドゥルヘキム氏は憤慨する。
 「いまの新疆のウイグル人はパンダのようなものだ。滅亡寸前の生き物だ。」
 これは、東トルキスタン運動亡命指導者、故イサ・ユスフ・アルプテキンの言葉である。


(邦訳:1999/11/29)
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by yaponluq | 2008-04-26 23:18 | 東突厥斯坦/"新疆"ウイグル
東トルキスタン独立への闘い 2.八番目のチュルク国家を目指して
曹長青評論邦訳集  東トルキスタン独立への闘い

2.八番目のチュルク国家を目指して
http://toueironsetsu.web.fc2.com/QCao/ET/ET2.htm

(『台北時報』1999年10月12日)
 ソビエト連邦の崩壊によって中央アジアのチュルク語族国家は独立を手にした。トルコを含めるとチュルク系国家は7カ国となる。総人口は約3,000万人である。これら7カ国はすべて国連への加盟を完了した。
 これらの情況は、新疆地域のウイグル人の独立への願望を目覚めさせた。
 新疆は独自の歴史を有する。この独自性が「東トルキスタン」の独立願望の基礎となっている。
 「我々が望むのは独立というよりは祖国の復興だ」と、アブドゥルヘキム氏(東トルキスタン民族センター理事長)は言う。「我々は歴史的に見て独立国家でありつづけてきた。現在は中国によって占領されているというだけにすぎない。」
 中国政府がこの種の歴史観を執拗に否定するにもかかわらず、当の中国で編纂された歴史書である『唐書』の記録は、アブドゥルヘキム氏の言うところにより近い。
 中国とおなじく、新疆もまた、数千年の時の流れの中で興亡のサイクルをくり返してきた。南北朝時代に突厥帝国が次第に成長したが、ウイグルはその突厥を破ってウイグル帝国をうち立てた。この国家は『唐書』では“九姓回鶻(回鶻=ウイグル)”という名で見える。その名称は、帝国が九つの部族によって創設された事実に基づく。
 ウイグル軍はかつて中国唐朝の皇帝を助けて安禄山と史思明の反乱(安史の乱)鎮圧に重要な役割を果たした。この史実は、東トルキスタンの人々がいまもなお誇りとするところである。同時に彼らはこの史実をもって新疆が独立国家であったのみならず、中国を援助しさえした存在であった証拠であるともするのである。
 このような経緯にもかかわらず、中国は清朝の時代になると、左宗棠将軍ひきいる清軍はウイグル人を征服した。さらにアヘン戦争から約40年経った1844年、清朝の支配者層はこの地域を中国の領土の一部であると正式に宣言した。「新たに征服された領土」を意味する新疆という呼称はまさにこの時に与えられたものなのである。
 しかしながら、ウイグル人は中国の支配に反抗し続け、1937年に彼らは新疆南部において“イスラム共和国”を樹立した。ただしこの反乱はこの地域に勢力を張っていた盛世才の軍閥によって短期間で鎮圧されている。盛世才はその後、蒋介石の国民党政権のもとで農業大臣となっている。
 その後もウイグル人は屈せず、1944年には新疆北部でふたたび蜂起した。
 そして、彼らは東トルキスタン人民共和国を樹立した。
 「わが軍はウルムチを除く新疆北部のすべてを回復した。」
 これはベラト・ハジ(Berat Haci)氏(89歳)の回想である。ハジ氏は、王震将軍(1940年代末に新疆地域へ侵攻した中国共産党軍を指揮)との交渉に関与した人物である。
 「王震は、新疆は独立国家だが、国民党を破るために中国に協力しなければならないと主張した。」ハジ氏は、イスタンブールでの筆者とのインタビューでこう語った。
 「将来的には中国は我々に自治か独立を許可するつもりだと王震はいった。『レーニンは100万人以上の人口を有するすべての民族の自決を支持している。我々は共産主義者だ、レーニンの教えには従わなければならない』、とも。」
 ウイグル人はこの約束を信じ、東トルキスタン軍は中国共産党軍の新疆進駐に同意した。ところがその後数年もたたない1950年代の中ばには、中国は、「新疆ウイグル自治区」を設置し、同時にウイグル人の不満や異見を弾圧し始めた。

 ハジ氏は言う。「そのころ新疆は10の区域に分かれていた。そのうちの8区域で8万人のウイグル人が、のこりの2区では3万人のウイグル人が逮捕された。」
 「共産党は過酷な弾圧によってウイグル人の独立への願いを粉砕したのだ。」
 アンカラにあるハジェテペ大学で歴史を教えるエルキン・エクレム(Erkin Ekrem)氏(35歳)は9年前に新疆からトルコへ移住してきた。同氏はこう語る。
 「東トルキスタン人民共和国の最高指導者5人の暗殺は共和国滅亡のきっかけになった。」
 エルキン・エクレム氏はこの時期の東トルキスタン史に関して、もっとも権威ある研究者のひとりである。アンカラにおける筆者とのインタビューにおいて、同氏はこれまでにほとんど知られていない、ある事件について触れた。
 殺された5人の東トルキスタン指導者のなかには、次の4人が含まれていた。アクマト・ジャン(Akhmat Jan)東トルキスタン人民共和国議長、デリル・カーン(Delil Khan)元帥、ヤスク・バク(Yiaskh Bakh)副元帥、そしてアブドゥカフレーム(Abdukahreem)外相である。これらの人々は北京での交渉に招かれていたが、中国側は彼らにたいし、ソ連邦領土内にあるアルマアタ(阿拉木図・現在のカザフスタン首都)に向かうよう要求した。そこから北京へ飛行機で移動する指示を出していたのだった。記録によれば、彼らを乗せた飛行機はアルマアタを飛び立った直後に墜落し、5人全員が死亡したとされる。
 「事実はスターリンが彼ら5人の指導者を誘拐し、モスクワで殺害したのである」と、エルキン氏は述べる。「5人の拷問に関与した元KGBの責任者のひとりはソビエト連邦崩壊後、あるロシアの雑誌に発表した文章で、この隠されてきた秘密を暴露した。」
 氏は続ける。「この文章はウイグル語に訳され、ウイグル人の間で広く読まれた。そこで述べられた内容をもとに、海外へ亡命した東トルキスタン人数名がモスクワへ赴き、当時クレムリンで医者として働き、この事件に関わっていた人物を捜し出した。その元医師は、5人は帝政ロシア時代の厩舎に幽閉されそこで殺害された、と語った。」
 東トルキスタン最高指導者5人の突然の死は、ウイグル人を激昂させた。
 たとえば伊寧に駐屯していたイスラム共和国砲兵隊のロクマノブ(Rokhmannov)司令官は、その地にいた漢人すべてを皆殺しにせよとの命令を下している。
 「7千人以上の漢人が軍民に関係なく殺された。その後間もなく中国軍が侵攻し、ロクマノブは3日と経たないうちに殺された。彼が率いていた兵士たちもまた、殺されるか投獄された。」ハジ氏は当時を振り返る。
 トルコ国民の多くが、新疆を彼らの民族発祥の地と考えている。これは専門の研究者だけでなく、トルコ政府においてもその立場を取る人間が多い。そして彼らはすべてウイグル人のおかれた悲惨な境遇に強い同情の念を抱いている。
 トルコ政府の高官のなかには、新疆を自分たちの“母なる土地”と呼ぶ人々さえいる。彼らは、自分たちの祖先は新疆から西へ進んでトルコへやってきた人々だと信じているのである。彼らが新疆地域を“東トルキスタン”と呼ぶのは、まさにこの理由による。
 さらに、“東トルキスタン”の人々の苦しみは、多くのチュルク系国家の間でも強い同情を引き起こした。その理由は、トルコの場合と同じである。
 東トルキスタン最高指導者5人の死の後、もうひとりの著名な指導者イサ・ユスフ・アルプテキン(Isa Yusuf Alptekin)はトルコへ亡命した。
 東トルキスタン独立運動は、トルコで広範な支持を集めた。この人物は1995年、イスタンブールにおいて94歳で死去したが、100万人のトルコ国民が彼の死を悼み、喪に服したのである。そのなかには一般大衆はもとより、政府高官もが含まれていた。
 イサ・ユスフ・アルプテキンは歴代のトルコ大統領2人の墓の隣に葬られた。
 トルコ政府はさらに、イスタンブールに彼の名を冠した公園を建設した。この公園には東トルキスタン国家の旗がはためいている。
 東トルキスタンの国旗の意匠は、トルコ国旗とよく似ている。双方とも三日月が中央に位置する。トルコは赤、東トルキスタンは青という背景の色が異なるだけである。それだけの違いにすぎない。
 トルコ人と東トルキスタン人の関係について、トゥラン・ヤズガン(Turan Yazgan)氏(イスタンブール大学教授・チュルク国際研究基金会主席)はこう語った。「我々トルコ人とウイグル人とは民族的系統を同じくしている。我々がそういうのではない、アラーがそうおっしゃったのだ。これは神の意志なのだ。世界でチュルクの民が未だに自由を手にしていない場所が2つある。ひとつはイラン北部である。そしてもうひとつは東トルキスタンだ。我々トルコ人はその地の同胞を助ける義務がある。」

(邦訳:1999/11/28)
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by yaponluq | 2008-04-26 23:06 | 東突厥斯坦/"新疆"ウイグル
東トルキスタン独立への闘い 1.独立を目指すもうひとつの自治区
曹長青評論邦訳集  東トルキスタン独立への闘い

1.独立を目指すもうひとつの自治区
http://toueironsetsu.web.fc2.com/QCao/ET/ET1.htm

(『台北時報』1999年10月11日)
 NATO(北大西洋条約機構)によるユーゴスラビア空爆に、なぜあれほど中国政府は強硬に反対したのか? 中国は新疆やチベット、内モンゴルというユーゴスラビア同様の民族問題を孕んだ地域を抱えているからである。北京は、これらの地域で大規模な民族間の衝突あるいは現地先住民族による蜂起が発生した場合、米国やその他の西欧国家がユーゴに対するのと同様の軍事的介入に踏み切るのではないかと恐れているのだ。この恐怖が今回の中国の空爆反対姿勢の背景にあるというのが、西側における中国専門家の間での一致した見解である。
 チベット、新疆、そして内モンゴル地域は中国の火薬庫である。これらの地域では漢族と現地の先住民族との対立摩擦が激化しており、いつ支配者である漢人と公然たる衝突状態に突入してもおかしくない状況にある。なかでも新疆地域の情勢はもっとも深刻であり、当地において大規模な民族紛争が発生する可能性は他の二地域よりもはるかに高い。
 中国共産党が1949年に政権を奪取して以降、中国による新疆支配に反抗して発生した蜂起や暴動事件は主なものだけでも11回を数える。1998年の後半には、カルギリク(Kargilik,葉城)での警察襲撃事件、グマ(Guma,皮山)の武器庫襲撃と武器強奪、グルジャ(Gulja,伊寧)とモンゴル・クラ(Mongol Khura,照蘇)における3刑務所襲撃といった民族紛争に絡む重大事件が次々に起こり、とくに最後の一件では80名もの政治犯が脱獄する結果にさえ発展した。さらに今年の2月には同地域に駐屯する人民解放軍第3824部隊所属のミサイル基地が襲われ、軍用車両18台が破壊され、21名の兵士が死亡、6名が負傷している。
 新疆社会科学院が1994年に出版した『凡イスラム主義と凡トルコ主義(泛穆斯主義和泛突厥主義)』という書籍によれば、当局が察知している“反革命的”組織の数は60に達する。また現地の官報であるところの『新疆日報』が最近報道したところにしたがえば、新疆地域には68の地下組織が存在するという。これは、新疆ウイグル自治区共産党書記の王楽泉の発言として伝えられたものである。
 トルコのイスタンブールに“東トルキスタン民族センター(the East Turkestan National Center)”の本部が存在する。これは中国の植民地支配反対を標榜する組織である。そこでの筆者とのインタビューにおいて、指導者のひとりアブドゥルヘキム(Abdulhekim)氏は、東トルキスタン民族センターだけでも新疆地域内部に6万人以上の加盟者がおり、178の地下支部を有すると述べた。
 アブドゥルヘキム氏は、新疆を“東トルキスタン”と呼ぶ。その理由は、ウイグル人にとっては、中国人によって名付けられた、「新たに征服された土地」を意味する新疆という名称は、“トルキスタンの民”にとっては侮辱にほかならないからである。
 アブドゥルヘキム氏は、『ウルムチ晩報(烏魯木斉晩報)』の編集者であった経歴を持ち、また子供向けの書籍7冊の著者という人物でもある。同氏は、かつて中国の公的団体であるウルムチ作家協会の代表でもあった。だがアブドゥルヘキム氏は5年前にウルムチを去り、それどころか故郷をさえ捨てて、トルコへ来、東トルキスタン民族センターの指導者となった。同組織は、新疆独立を活動目的とする国外の団体のなかでは最大のものである。
 「ウイグル人は長年にわたって中国人の差別と抑圧に苦しんできた」とアブドゥルヘキム氏は言う。「ウイグル人の漢人に対する民族的憎悪は、喩えれば100℃に達した熱湯のような状態だといえる。いつ爆発してもおかしくないということだ。過去数年だけでも、130件を超える暴動や蜂起が起こった。現在、(新疆地域内部の)地下組織は海外の組織との連携を強めており、東トルキスタンに生きる人々の自由と独立を勝ち取るため、密接な協力関係を構築しつつある」
 昨年末、世界18カ国に散らばる新疆独立運動団体の代表者40名がトルコの首都アンカラで一堂に会した。3日間にわたる非公開の会議の後、参加者は東トルキスタン民族センターを設立した。どうやらこの組織は将来的には亡命政府に発展するとの含みもあるらしい。
 東トルキスタン民族センターの代表に選出されたのはリザ・ベキン(Riza Bekin)氏(73歳)である。同氏はトルコ陸軍の退役将軍である。
 ベキン氏は9歳のときに両親とともに新疆から逃れた。朝鮮戦争では大尉として国連軍で戦い、そののちアフガニスタンではNATO軍司令官をつとめた経歴を持つ。歴戦の戦士である同氏の経歴が、中国植民地主義の支配と戦う上で暴力の使用を辞さないという、この団体の思想を雄弁に物語っているように思える。
 東トルキスタン民族センターは非暴力の原則に則った組織であるという主張をベキン氏はたびたびくり返す。だが同氏は同時に、すべての独立派組織がこの原則に賛成しているわけではない事実も認めている。
 アブドゥルヘキム氏(ベキン氏の補佐役である)によれば、カザフスタンに本拠を置くウイグル人運動組織のいくつかは、中国人に対抗するには力あるのみという彼らの信念に基づき、東トルキスタン民族センターに加盟しなかったという。
 東トルキスタン民族解放戦線(the East Turkestan National Liberation Front)の長年の指導者であるユスプ(Yusup)氏(80歳)は、ある香港の記者の、最近のバス爆破事件や武器強奪、さらには刑務所やミサイル基地襲撃をめぐる質問にたいして、「これらすべての活動は自分の組織の指令によるものである」と答えている。ちなみに東トルキスタン民族解放戦線は、東トルキスタン民族センターへの加盟を拒否した団体のひとつである。
 ユスプ氏は東トルキスタン共和国軍の士官であった過去を持つ。中国による新疆占領後、同氏は新疆ウイグル自治区博物館の副所長となったが、1957年にソビエト連邦へ逃れた。それ以後、武力闘争による新疆の独立達成が彼の生涯を貫く大義となった。ユスプ氏と彼の率いる組織は、27の他の過激派グループとともに、新疆地域での非合法活動を指揮する本部として“母国の火花(The Sparks of Motherland)”という機構を創立している。
 “母国の火花”と同種の団体としては、“青年の家(The Home of the Youth)”がある。この団体に所属する人員は約20名である。イスタンブールで筆者が彼らにインタビューした折り、彼らが異口同音に主張したのは、中国当局が理解するのは力の言葉のみである、という信念だった。この組織は“新疆のハマス(Xinjiang's Hamas)”という異称を持つ。いうまでもなくハマスとは、自爆戦術によって悪名高いパレスチナのイスラム原理主義者を指す。「我々ひとり一人が爆弾である」とは、“青年の家”の書記長代理の発言である。
 同組織のメンバーのひとりであるカマル・イルチュルク(Khamar Yilturk)氏(30歳、ビジネスマン)は怒りの表情を隠さない。「我々にはこの方法しかないのだ。中国人と戦うには、自分の命を武器とするしかない。」
 “青年の家”のメンバーは2千人以上だが、大部分は若年層である。彼らの多くはトルコで兵役に就き、実戦を戦った経験を持つ。ミサイルを発射する技術を持つ者、戦闘機や戦車を操縦できる者もいる。
 「我々はついにもっとも重大な時期に到達した。」これはママト・ノール(Mamat Noor)氏(20歳)の言葉である。「我々は武器を執るべきだ。我らの血と命も武器だ。戦いに使えるものは何でも武器だ。」
 ママト・チュルスンム(Mamat Tursunm)氏(40歳、ビジネスマン)は強調する。「中国当局がいかに残虐な手段で弾圧してこようとも、我々は決して屈しない。我々は戦いに備え、存分に戦える時機が来るのを待っている。」
 新疆に生きるウイグル人は、中国が他国と軍事的衝突を起こした時こそが、決起の絶好のチャンスだと考えている。事実、1962年の中印国境紛争の折りには、ウイグル人は一斉蜂起を行っている。珍宝島をめぐる中ソ両国の軍事衝突の際にも蜂起した。
 アブドゥルヘキム氏はこう予言する。中国が台湾に武力攻撃を仕掛けた時が、ウイグル人にとって次の反乱のチャンスとなるだろう、と。
 「こんどこそ、すべての東トルキスタンの民が我々に呼応するだろう。中国が午前4時に台湾を攻撃するとすれば、我々は午前3時に立ち上がる。」

(邦訳:1999/11/27)
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by yaponluq | 2008-04-26 22:56 | 東突厥斯坦/"新疆"ウイグル